「美しい姿、形、色彩といったものだけではなく、自然は多様なところも美しいんですね。山を登っていると山のボリュームある存在感に圧倒されたり、激しい自然の移り変わりに出合います。そんな一瞬に見せる自然の素顔ともいえるリズムや緊張感に触れ、心を動かされる。はかなさもある。それが、わび・さび、といった日本人特有の伝統的な美意識にもつながってくる。品格があり、音が聞こえてくるような写真。それが私の理想です」
■風景写真はどうあるべきか
一方、風景写真の撮影で大切なのは「質感」を出すこという。
「写真はやはり質感で見せていくということがとても大切。特に自然写真は『色がきれいですね』とか、そんなことではなくて、質感を見せていくほうがはるかに重要なんです」
そして、水越さんは、こう続けた。
「音楽でいうと音感のようなもの、写真でいえば色調とか質感をどれだけ見分けられるか。その目を養うにはある程度の訓練は必要でしょう。例えば、ジャンルを問わず、いい絵や写真を見る。そういうものを自分の中で生かす。画面をまねるんじゃなくてね」
水越さんは写真を始めた27歳のときから「風景写真はどうあるべきか」、ずっと模索してきた。そして、もっとも大切なことは自分の自然観を作品に織り込むことだと考えるようになった。「周囲から愚直と言われようが、この意識は変わりません」。
豊かな自然を単なる美しい風景としては見たくない。多彩な自然で構成された集合体として見たい。そのさまざまな自然を直視し、そこに焦点を絞って自分の写真を考えたい、と。
「自然は一瞬たりとも固定されることがない。常に動き続けている。それが実感として感じられる。ただ、美しいというだけではなく、そんな意識を持って自然を見ていくことは風景写真にとって非常に大事なことです」
それが風景写真が目指すものとつながってくるという。
「風景写真は時代から離れてしまってはいけない。森山大道さんが『写真は記録である』と言うように、記録は時代と親密な関係にあります。そこから離れたら写真のリアリティーは希薄になってしまいます。そういうことから風景写真が生まれこなくてはいけないと、常々思っています」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】水越武写真展「アイヌモシリ オオカミが徘徊した蝦夷地」
富士フォトギャラリー銀座 4月6日~4月25日