幹部は異論に耳を傾ける度量のある人物だった。「どうするかは別にして、新聞に書かれていることは重いです」と受け止めた。一方で、こうも言った。「司令官も、この時期にここにいなければならなかったという意味では、県民と同じで被害者でもあるんじゃないでしょうか」

 明白な加害責任がある者に対し、1人の人間として同情を寄せるだけにとどまらず、なぜか免責して被害者として扱ってしまう。特別珍しい考え方ではない。ある意味、戦後日本を象徴している。

 特に本土では、地上戦で沖縄の人々が目に焼き付けた「加害者」の姿が見えなかった。沖縄戦に続くはずだった本土決戦はついになかったし、空から降り注ぐ爆弾の下では、みなが同じ「被害者」だった。

■八紘一宇(はっこういちう)

 1億総懺悔(ざんげ)。1億総被害者。宣戦の詔勅(しょうちょく)を出した昭和天皇の責任さえ不問にされ、区切りがないまま、日本の戦後はだらりと始まった。一部の指導者が象徴的に処刑されたが、残りは米国と結びついて戦後も支配者の席に居座った。安倍晋三は日米開戦時の商工大臣だった岸信介の孫であるだけでなく、そのことを誇っている。

 宮崎出張の折に、「八紘一宇の塔」を見た。高さ約36メートル。21世紀の空に侵略戦争のスローガンが突き立てられている光景に圧倒される。八紘一宇は「世界を一つの家にする」というプロパガンダ。塔は1940年、「皇紀2600年」を記念し、神武天皇ゆかりの地とされる宮崎を選んで建設された。

 よく見ると土台部分の礎石には「南京」「河北省」などと文字が彫られたものがある。当時、日本軍が侵略した地域からも石が集められたのだ。最近、中国の博物館が石の返還を求めたが、塔を管理する宮崎県は「取り壊しはできない」と断っている。

「八紘一宇」の文字は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指摘を受けていったん削り取られた。ところが戦後20年たった1965年、地元経済界の主導で再び彫り込まれた。ほとぼりが冷めた、と判断したのだろうか。

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日本と違って沖縄では「平和」は単なるスローガンではあり得なかった