どういう巡り合わせか。そんな島袋は名護市辺野古で暮らしている。コロナ禍が始まるまで、地元に新基地を建設しようとする政府に抗議するため、杖をつき、あるいは車いすに乗って、基地のゲート前に通った。生コン車の前に立ちはだかり、止めたことがある。警察官に排除された拍子に倒れ、頭を打って意識をなくしたこともある。それでも通い続けた。

「年寄りはここに来ても何の役にも立たないねえ」と歯がゆそうだ。だが、島袋の存在そのものが沖縄の歴史を体現し、人々を鼓舞する。私はその背中を長く見てきた。

 具志堅隆松は2021年、辺野古新基地建設に反対して3度のハンガーストライキに臨むことになった。1954年生まれで、戦争は知らない。ただし、40年近い遺骨収容のボランティア活動を通じて、戦死者の「声」に耳を傾けてきた。沖縄の言葉で壕(ガマ)を掘る人、「ガマフヤー」を自称している。

 どうしても許せないことがある。政府が辺野古沿岸を埋め立てる土砂を沖縄島南部から採取する計画を明らかにした。かつての激戦地に眠る戦死者の遺骨は何年収容しても収容しきれない。細かく砕けた骨と血が大地に染み込んでいる。「その土を海に放り込んで人殺しの基地を造るというのは、死者への冒涜です。裏切りです。どう考えても間違っている」と静かに声を震わせる。

 具志堅の収容現場の一つに、日本軍が構築した陣地壕がある。入り口付近に、お年寄りと子どもの遺骨が散らばっている。「入れてもらえなかったんじゃないか」と、具志堅は言う。日本兵がわが身かわいさに住民を壕から追い出した、という証言は数え切れない。

 奥深く分け入った壕の中でも、黒く炭化した遺骨が見つかる。中に逃げ込めたものの、火炎放射器の炎が別の入り口から回ってやられたのではないか、という。暗闇の中、具志堅が額につけたライトの光に浮かぶその骨は、日本兵だろうか。

 具志堅は住民も兵士も分け隔てなく収容を続ける。地面に体を投げ出し、慎重に掘り進めるその姿は、遺骨を抱き取るかのようだ。

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「東アジアは現在、歴史上最も緊張が高まっている」