1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。夏の季節にちなんだ「路面電車 夏の足跡」の第七回目。夏の太陽が輝く都会の街角を一陣の涼風のように走り去った路面電車たち。各地に残した足跡を夏の風情と共に回顧したい。今回は大阪と神戸を結んだ阪神電気鉄道国道線(以下阪神国道線)とミナト神戸市内(以下神戸市電)を走った路面電車の話題だ。
【浜風が心地よい甲子園線など、諸河久カメラマンの当時の貴重な写真はこちら】
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真夏の日差しに照りつけられる路面電車。
冒頭の写真は、上甲子園停留所付近で信号待ちする阪神国道線の東神戸行きの路面電車だ。国道2号線(阪神国道)道路上に敷設された阪神国道線は、野田から東神戸まで26000mという、日本の路面電車では一路線で最長の営業距離を走っていた。東京都電を例にとると、最長営業距離だったのが18系統(志村坂上~神田橋)の12374mで、阪神国道線には遠く及ばない。
1961年の時刻表を紐解くと、野田~東神戸の所要時間は約75分で、通し運賃は75円だった。当時の国鉄線26キロの2等運賃(現普通運賃)は80円だったから、比較的廉価で乗車できた。ちなみに、現在のJR電車特定区間(大阪)で26キロの運賃は470円に設定されている。
道路渋滞の増加と反比例するように…
大阪市福島区の野田を発車して尼崎市、西宮市、芦屋市を走り抜け、神戸市東灘区の東神戸を結ぶ都市間連絡の存在が阪神国道線だった。この路線は国道2号線の建設時に阪神国道電軌によって軌道敷設工事が始められ、国道2号線が竣工した1927年7月に開業している。翌1928年に親会社の阪神電気鉄道に合併され、阪神国道線となった。全線複線で敷設され、軌間は1435mm、電車線電圧は600Vで、北大阪線や甲子園線などの支線も同じシステムで運行されていた。
大阪~神戸間は阪神電鉄・阪神本線、阪神急行電鉄(現阪急電鉄)・神戸線、国鉄(現JR西日本)・東海道本線の3線が覇を競う競合路線だ。3線と並走する阪神国道線は、長距離低速運転のハンデギャップに加えて、モータリゼーションの進捗による道路渋滞の増加と反比例するように輸送力が減少し、衰退の一途を辿った。1969年の西灘~東神戸廃止から始まり、1974年廃止の上甲子園~西灘と続き、翌1975年5月に前述の北大阪線・甲子園線と共に残存した全区間が廃止された。