樋野の手帳はぎっしり文字が書かれている。愛読書の新渡戸稲造『武士道』や内村鑑三『代表的日本人』なども線や書き込みでいっぱいだ。愛用の黒のかばんは、本や資料でずっしり重く、持ち手も剥げている(撮影/岸本絢)
樋野の手帳はぎっしり文字が書かれている。愛読書の新渡戸稲造『武士道』や内村鑑三『代表的日本人』なども線や書き込みでいっぱいだ。愛用の黒のかばんは、本や資料でずっしり重く、持ち手も剥げている(撮影/岸本絢)

 3時間を超えた大会の締めはAKB48のヒット曲「365日の紙飛行機」と「恋するフォーチュンクッキー」。「紙飛行機」から全員で合唱した。踊る人も、タンバリンを鳴らす人もいる。

<人生は紙飛行機、願い乗せて飛んで行くよ、風の中を力の限り、ただ進むだけ、その距離を競うより、どう飛んだか、どこを飛んだのか、それが一番大切なんだ、さあ、心のままに>

 ここに集う人々は、それぞれの形でがんと向き合っている。一体どんな思いを込めて、どんな場面を脳裏に浮かべて、歌っているのだろう。表情からは窺(うかが)い知れない。ただ、みんなの目は確かな力を宿している。「人は存在自体に価値がある」という樋野の言葉が思い出された。

 取材を続けていて、樋野にどうしても聞きたいことが芽生えた。もしも厳しいがんになったら、自分にはどの言葉を処方するのだろうか、と。

「なったときに考えるかな。どんな境遇になっても覚悟を持てるか。心構えを訓練しているよ」

 少し考えてから、訥々(とつとつ)と語りだした。

(文中敬称略)

■ひの・おきお
1954年 島根県出身。姉が2人いる。
 60年 大社町立(後に出雲市立)鵜鷺(うさぎ)小学校入学。5年生のとき担任に日記を書くことを勧められ、現在まで続けている。
 69年 島根県立出雲高校入学。実家を離れて下宿。授業で悩みを書く機会があったが、「悩みはない」と書いて教師に呆れられる。
 73年 愛媛大学医学部に入学。道後温泉に入り、夏目漱石を読む日々。
 79年 愛媛大学医学部卒業。同学部第二病理学教室の助手に就任するも、癌研究会(現がん研)へ国内留学。
 81年 癌研癌研究所病理部研修研究員。
 84年 同研究員。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センターへ留学(~85年)。
 86年 日本癌学会奨励賞受賞。
 89年 米国フォックス・チェイスがんセンターへ留学(~91年)。
 91年 癌研究会癌研究所実験病理部部長。
2000年 国連大学主催の新渡戸稲造『武士道』発刊100周年シンポジウムに、原田明夫・東京高検検事長(後に検事総長)らとパネリストとして出席。研究室の外で活動する第一歩となる。
 03年 高松宮妃癌研究基金学術賞受賞。順天堂大学医学部教授を兼務(04年から専任)。
 08年 順天堂大学にがん哲学外来を開設。その後、学外へ広げる。
 16年 保健文化賞受賞、皇居で天皇、皇后(現上皇、上皇后)両陛下と面会する。
 18年 朝日がん大賞受賞。
 19年 順天堂大学名誉教授。東京医療生活協同組合「新渡戸稲造記念センター」センター長。樋野とカフェの人々を描いたドキュメンタリー映画「がんと生きる 言葉の処方箋」(野澤和之監督)が公開。

■中村智志
1964年、東京都生まれ。朝日新聞社に入り、2017年から(公財)日本対がん協会に出向。著書に『段ボールハウスで見る夢』(草思社、講談社ノンフィクション賞)、『命のまもりびと』(新潮文庫)など。

AERA 2020年2月24日号

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