レギュラー出演しているラジオNIKKEIの番組収録の様子。左はアナウンサーの大橋都希子(撮影/岸本絢)
レギュラー出演しているラジオNIKKEIの番組収録の様子。左はアナウンサーの大橋都希子(撮影/岸本絢)

■きっかけはアスベスト問題、がん哲学外来は対話の場

 帰国後は、実験病理部の部長に就任。クヌドソンのもとで始めた「遺伝性のがん」の研究も続けた。やがて、その研究が、中皮腫の早期診断に応用できるとわかった。中皮腫は、建築資材などに使われたアスベスト(石綿)を長い間吸うと、30~40年の潜伏期間を経て発症する希少がんだ。早期発見ほど、手術で治せる可能性が高まる。

 04年、1年間の癌研との兼務を終えて順天堂大学医学部教授に転身していた樋野は、中皮腫の血液検査のマーカーを発見し、他の研究機関と検査キットを開発した。すると、翌年6月、大手機械メーカーのクボタが、同社の工場の従業員らが多数、中皮腫で死亡していると発表した。同業他社の発表も続き、不安が広まった。
 これが、3度目の転機となった。検査のニーズは一気に高まった。8月には、樋野の提案で、順天堂大学付属順天堂医院に「アスベスト・中皮腫外来」が設立された。週に1回、問診する。アスベストの危険性は長く指摘されていただけに、訪れる人はみな、やり場のない怒りや悔しさ、苦悩を抱えている。傾聴に始まり、必然的に対話の場となってゆく。「がん哲学外来」の原型である。

 07年4月にはがん対策基本法が施行され、全国約400のがん診療連携拠点病院に、相談支援センターの設置が求められた。「がん難民」が社会的な問題になっていた。樋野は、対話の場をあらゆるがん種に広げることを思い描いた。

 08年1月、順天堂医院に、試験的に「がん哲学外来」を無料で開いた。3月までに5回、1日4組の予定だったが予約が殺到、1日8組に増やしても追いつかない。80組がキャンセル待ちとなり、院内のレストランで面談した。

 もはや「人と話すのが苦手」とは言っていられない。秋には、患者夫妻の依頼で横浜のホテルのロビーで開催。2回目から訪問看護ステーションに場を移し、「カフェ」も伴った。こうして、「がん哲学外来メディカル・カフェ」が誕生した。

 カフェは現在、全国約170カ所に広がっている。設立・運営のマニュアルはなく、新たに始めたい人たちは、既存のカフェを見学し、自分流にアレンジする。樋野の注文はただ一つ、「3年以上継続できないなら、やらないで」だ。

 活動を通じて、樋野に見えてきたことがある。

「患者の悩みは大きく三つに分かれる。病気そのもののこと、家族との関係、職場の人間関係。3分の2は、家族や職場の悩みだね」

 悩みの内容もまた、時代を映している。

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