昨年6月、國分が座長を務めたドゥルーズ学会のサマースクールでは、能のワークショップも行われた。海外の学会で発表を続けたことで「東京の回は國分が座長をやって」と頼まれたという(撮影/篠田英美)
昨年6月、國分が座長を務めたドゥルーズ学会のサマースクールでは、能のワークショップも行われた。海外の学会で発表を続けたことで「東京の回は國分が座長をやって」と頼まれたという(撮影/篠田英美)

■長髪に黒い服を着た姿、教室でも異様に目立った

 探検家の角幡唯介(43)は『中動態の世界』の書評で「(自分も)妻に銃を突きつけられたわけではないが、状況に従ううちに気がつくと結婚しており、子供ができて、この前など家まで買うことになってしまった。完璧に中動態で記述されるべき事態なのだ」と我が身に引き寄せユーモア交じりに解説した。中動態という概念を知ると、確かに私たちの日々の行動も、自分の意志で決めているとは言えないことが多々あることに気づく。

 古代ギリシャの哲学者プラトンは「哲学は驚きから始まる」と述べたが、國分の哲学の大きな特徴も「人々がハッと驚くような新たな視点」をもたらすことにある。その思考領域は、民主主義や原子力などの大問題から、若者の恋愛や就職の悩みなどの身近な話題まで及ぶ。過去の偉大な思想をわかりやすく紐解きながら、複雑にこみいった問題の本質を提示できる識者として、メディアに意見を求められる機会も増える一方だ。

「ドイツの劇作家ブレヒトは『英雄がいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ』と述べました。最近よくそれをもじって『哲学がない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ』と言うんです」

 そう笑う國分は、1974年、千葉県柏市に生まれた。父は市の公務員で母は専業主婦。公立の小中学校から早稲田実業高等部に入学すると、通学電車で安部公房や遠藤周作の小説を読みふけった。成績は優秀で早稲田大学政治経済学部に進学。入学後は「政治経済攻究会」というサークルに入り、そこで初めて本格的に「思想」と出会った。

「ホッブズやルソー、マルクスなどの著作を読んで、政治思想についてあれこれと議論するのが活動の中心でした。間違った意見や差別的な考えには容赦ない反論が飛んで、そこで鍛えられた。そういう自分の考えを批判される機会を持たぬまま大人になる人も珍しくないと後で知り、得難い経験になりました。後輩には政治学者になる白井聡君もいて、僕は幹事長も務めました」

 大学で國分と同級生だったTBSラジオプロデューサーの長谷川裕(45)は、印象をこう語る。

「黒い服を着て長髪を後ろでまとめ、大教室でいつも最前列に座っていたので異様に目立ちました。3年時に同じゼミに入ると、カントなどの課題図書を僕は日本語訳で読んでいくのに、國分君はドイツ語やフランス語の原典で読んでくるんです。彼を中心としたゼミの仲間の議論がものすごく知的レベルが高くて、聞くだけで楽しかった」

 ときは90年代半ば。「ニューアカ」と呼ばれた現代思想ブームの残り香が漂い、社会学者の宮台真司が売春する「ブルセラ女子高生」を論じ、漫画家の小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』で薬害エイズ訴訟やオウム真理教問題を描くなど新たな思想の潮流が起きていた。國分らの議論はそうした現実の問題も俎上に載せた。ゼミには12人所属していたが、後に國分を含め5人が研究者となったことからも、そのレベルの高さが窺える。

 研究者の途を志した國分は、フランス語で卒論を書いて早稲田を卒業すると、東京大学大学院に進学。東大に籍をおきながらフランスに留学し、政治哲学を本場で学ぶ。留学の壮行会でTBSに就職した長谷川は、「いつか國分君たちのような若い学者が活躍できる番組を作る。その日を楽しみにしてほしい」と語ったという。

「留学前から自分が関心を持っていたのが、17世紀のヨーロッパの思想でした。16世紀の宗教戦争で焼け野原になった社会をどう立て直すかという時代で、現代に通じる国家や主権といった概念が形作られていったのがその時期なんです」(國分)

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