ドゥルーズ学会には現代思想の大家、アルフォンソ・リンギスも来日した(撮影/篠田英美)
ドゥルーズ学会には現代思想の大家、アルフォンソ・リンギスも来日した(撮影/篠田英美)

■同世代の活躍を横目に、もやもやした30代前半

 國分がとりわけ関心を抱いたのがオランダのスピノザという哲学者だった。17世紀の有名な思想家には近代を支配する科学的思考の礎をつくったデカルトがいるが、スピノザの思想は「科学的思考では扱えない領域を考えるところが魅力だった」。「真理はエビデンスによって証明でき万人に共有できる」と考えるデカルトに対し、人間の「主体」や「意志」といった、形はないが確かにある重要な存在についてスピノザは思索を深めた。

「スピノザの『エチカ』に、厳しい親に育てられた子どもが、成長して暴君のもとで勇猛な兵士となる話が出てきます。その兵士は自分の意志で戦っているように見えて、実は親や暴君の意志を表現している。現代にも通じる話ですよね」

 留学時には現代思想界を代表する哲学者、ジャック・デリダの最晩年の授業に出席した。

「授業のテーマは『死刑』でした。デリダといえば日本では難解な哲学者として知られていますが、実際の人物はきわめて明快で、フロイトの精神分析をはじめあらゆる知見を総動員して自由に物事を考える人でした。その授業で一人の生意気な学生が『死刑を考えるのに哲学が必要なんですか?』と質問したことがあったんです」

 デリダはその問いに「私は哲学が好きだからです」と答えた。國分はそれを聞き「いい答えだな~。やっぱりそうだよな」と感動したという。

 帰国して東大の研究員となってから2年後、33歳のときに國分は高崎経済大学に講師の職を得る。東京から半日かけて鈍行電車で高崎まで行き授業をして、また半日かけて帰るという日々を送った。その電車の中でも國分は先人の哲学書を読みふけった。後に『中動態の世界』を書きはじめるにあたり、國分は「ギリシャ語を学ばなければこの本は書けない」と考え、1年半にわたって東京・駿河台のアテネ・フランセに通い古典ギリシャ語を学んだ。哲学の祖ソクラテスが説いた「知を愛すること」を國分は自らも実践し続けてきた。

「30代前半はなかなか仕事も決まらないし、同世代で世に出る人もいて、もやもやする時代でしたね。2004年に翻訳書の『マルクスと息子たち』を出版してから、自分の名前で本が出せるまで7年かかりました。今思えば、自分の思想をまとめるのに必要な時間だったと思います」

 11年、國分は本格的な哲学書の『スピノザの方法』と、一般の人々を対象とした『暇と退屈の倫理学』という2冊の本を著し、一気に世の注目を集めた。そしてその年、先の長谷川がディレクターを務めていたTBSラジオの番組「小島慶子キラ☆キラ」に、國分をゲストとして招くと、その語りを聞いたマスコミ関係者が、続々と彼に出演や執筆を依頼するようになっていく。メディアで國分は、哲学の視点から現実の問題を鮮やかに解説していった。國分自身は11年3月11日に東日本大震災と福島の原発事故が起こり、日本が混乱状態に陥ったことが、自分に発言機会が与えられる契機となったと考えている。

「ギリシャで哲学が生まれたのは政治が腐敗して乱れたときです。社会がうまくいっていれば哲学は必要ない。物事の基礎を問い直すからこそ、基礎が揺らいだとき哲学が必要となるんです」

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