その後、結婚した際に、夫婦が住む住宅を購入したのだが、もともと料理を作るのが大嫌いな義母と、個人事業主で息子に仕事を譲り、暇を持て余している義父が、毎日、新婚の家にやってきては御飯を食べていった。あまり夫婦仲がよくなかったので、2人、ばらばらに来るのである。当時彼女はまだ仕事をしていなかったため、義父母のために1日中、食事を作らなくてはならなくなった。
「子供が生まれるまでの3年間、それで揉まれ続けて、料理を作るのが苦にならなくなったのかもしれないわね。だって食べないと家に帰らないんだもの。義父は全然、食べ物にこだわりはないんだけど、義母は品数が多くないと嫌味をいうし、意地になって料理をしていたかもしれない」
彼女はそう笑っていたが、話を聞くと義母はちょっと変わった人で、恋愛結婚だった彼女に向かって、
「うちの息子と結婚したければ、和食器は源右衛門窯、洋食器は大倉陶園で揃えてこい」
といったとか。江戸時代の話でもあるまいし、私よりもずっと年下の彼女が結婚する時の話で、明治、大正、戦前の話でもなく、それも旧華族とかそれに類するお家柄でもないのに、そんな指定をしてきた。だいたいそういうお家柄の方々は、そんなことなどいわないはずなのだ。それを聞いた彼女のお母さんは憤慨して、
「よーし、わかった。きっちり揃えて支度してみせる」
と先方がいってきたとおりにしたら、何もいわなくなった。
その後、女の子が生まれ、夫が、
「子育てで大変だから、もう家に食べに来るのはやめて欲しい」
と両親に告げると、義母は、
「跡継ぎの長男が欲しかったのに、女の子でがっかりした。もう来ない」
といい捨てて、本当にそれ以来、20年以上、孫の顔を一度も見に来ていないという。
「それもすごいわね」
私が驚いたら彼女は、
「そうなのよ。わけがわからないので、放ってあるの」
という。まあ内情はいろいろあるのだが、そういった口うるさい義母の御飯を作り続けて、今の料理を作るのが習慣になってしまった自分があるのだと彼女はいっていた。
「別に感謝はしてないけどね」
「そうよ、しなくていいわよ」
私が怒ると彼女は苦笑していた。