■清原和博がイベント登壇、いま苦しいと言える

「ご本人を支えているご家族や、友人にメッセージありますかね」と松本が聞くと、清原はやや緊張の色を浮かべ、視線を宙に這わせて、答えた。

「ほんとに自分、いま、いろんな人に支援していただいて、支えられています。身近な人に正直にものを言えることが、自分はいま、一番変わったことだと思います。薬物使っているときは、それがために嘘をつき、自分をどんどん追い詰めてしまい、ほとんど苦しみの日々でした。それが、近くにいる人の理解があれば、いま、自分が苦しいんだ、つらいんだと言える環境があります」

 プロ野球のスーパースターは薬物で奈落の底に突き落とされ、新たな人生を見つけていた。

 松本は「海外では回復した人は尊敬されます。(元米大統領の)オバマ、ブッシュは依存症の自助グループに行ったことを堂々と述べています」と対談を締めくくった。

 冒頭で触れたNCNPの集団認知行動療法プログラム・スマープが大詰めにさしかかっていた。

 参加者は内面を吐露し合い、次の1週間を乗り切るエネルギーを蓄える。ミーティングの合間に席を立って尿検査に向かう人たちがいた。大切な自己確認であろう。閉会が告げられ、それぞれの生活に戻っていく。その先に何が待つのか……。

 松本はことあるごとに「薬物依存症から回復しやすい社会をつくろう」と呼びかける。

 かつて「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」という啓蒙CMがテレビで頻繁に流された。これを真に受けてはいけなかった。人間はそれほど単純でも、愚かでもない。覚醒剤をすぐにやめられなくても、回復への坂道をのぼれる。たとえ3歩前進、2歩後退だったにしても、希望は「つながり」のなかにある。

 (文中敬称略)

■まつもと・としひこ
1967年 神奈川県小田原市に生まれる。父は不動産業を営み、3人きょうだいの長男として育つ。
  80年 公立中学に入学。激しい校内暴力の洗礼を受ける。たばこ、シンナー、乱闘が日常茶飯だった。
  87年 公立進学校から、1浪後、佐賀医科大学(現・佐賀大学医学部)に入学。読書と映画にのめり込み、市民劇団でも活動する。医学生らしくない生活を送る。妻となる医学生と出会う。
  93年 佐賀医科大を卒業し、横浜市立大学医学部附属病院の研修医に。
  96年 神奈川県立精神医療センターの精神科救急に配属され、鍛えられる。その後、同センター「せりがや病院」に異動し、依存症治療の最前線に立つ。10代の薬物乱用に直面し、自身の思春期との運命的「再会」を感じる。
2000年 横浜市大医学部附属病院精神科に戻り、助手。
  03年 横浜市大医学部精神医学教室医局長に。
  04年 国立精神・神経センター(NCNP、現・国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所に移る。司法精神医学研究部専門医療・社会復帰研究室長に就く。
  06年 米マトリックス研究所のモデルを参考に「スマープ(SMARPP:Seri gaya Methamphetamine Relapse Prevention Program)」開発。
  07年 NCNP自殺総合対策推進センター・自殺実態分析室長。翌年、薬物依存研究部室長を併任。
  11年 第17回日本犯罪学会学術奨励賞受賞。
  15年 NCNP薬物依存研究部部長に就く。その後、NCNP病院・薬物依存症センターセンター長も務める。著書に『自傷・自殺する子どもたち』『アルコールとうつ・自殺』『薬物依存症』など。

■山岡淳一郎
ノンフィクション作家。『神になりたかった男 徳田虎雄』(平凡社)、『田中角栄の資源戦争』(草思社文庫)、『原発と権力』(ちくま新書)他、著書多数。近著に『生きのびるマンション』(岩波新書)。

AERA 2019年9月9日号

※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。

暮らしとモノ班 for promotion
「昭和レトロ」に続いて熱視線!「平成レトロ」ってなに?「昭和レトロ」との違いは?