たとえ言葉を話せたとしても、主張したいことがなければコミュニケーションを取ることはできないと気付いたのは、この時だったという。とにかくパリの小学生は、よく喋る。政治や信条だけではなく、こんなことでも議論が巻き起こった。
「あさがお一つ育てるのでも、どう育てるのか話し合うように言われるんです。土に埋めて水をあげれば育つと思っていたけれど、『ちょっと待った!』と言う人が出てくる。『ティッシュにくるんで発芽させてはどうか』『土に水をかけてから種を入れるか、種を入れてから水をかけるか』なんて風に話し合うんです。育て終わったら、どこが良かったかをまた議論する。もちろん、枯れてしまった時は厳しいことも言われます。でも、それを含めて成長していくんですね」
議論が白熱すれば、そこは小さな子ども、時々けんかだって起きる。そんな時は、先生が間に入り、まるで会議を円滑に進めるためのファシリテーターのように流れを取り戻す。共に教え合うことが良いとされていた「イギリス式」からガチンコ勝負の「パリスタイル」への変化には、ナージャさんも戸惑ったという。
パリでビシバシと鍛えられた半年を経て、ナージャさんは東京に引っ越した。協調、議論の国を経て、日本で感じたのは「平等」が大切だということだった。
「みんなが同じ方向を向いて、授業を受けるのが日本式です。『みんなに平等』な机の配置ですよね。自己主張をせず、和を乱さず、溶け込むことが良いとされているのだと感じました。先生は私が教室に慣れることを期待していなくて、ただ席に座っていればそれで良いという感じ。先生が一方的に話すので、生徒は注目されていないような気がします。日本の小学生がフランスの座席で議論を求められたら、きっと困ってしまうでしょう」
そして1年後、小学校5年生になったナージャさんはアメリカ・ウィスコンシン州に引っ越す。ミシガン湖など五大湖に面する自然豊かなこの場所で、「自由の国」の洗礼を受ける。