まずは、イギリス・ケンブリッジでの話から。ナージャさんが通った小学校は、5~6人で一つの机を使う「グループワーク」スタイルだった。ナージャさんが当時を思い起こす。


「イギリスのがっこう」の教室 (c)Jun Ichihara
「イギリスのがっこう」の教室 (c)Jun Ichihara

「テーブルごとに評価されるので、私が英語を話せないでいると同じグループの子が教えてくれます。英語を話せない日本人の女の子もいましたが、算数が得意で他の子に解き方を教えてあげていました。ロシアはグループワークをしないので、やはり個人主義の子が多くなる傾向にあります」

 ロシアの教室では、日本と同じように黒板に向かって子どもたちが座る。横長の机一つに二人で座るのだが、男女がペアになり、左側に男の子、右側に女の子が座るケースがほとんど。座席も固定で席替えは滅多にない。だが、イギリスに移った途端、いくつか置かれた机をぐるっと囲むように座るグループワークに変化。言葉よりも大きな「壁」を感じた。

「最初は自分が解いた問題を隣の子に教えてあげるのに抵抗がありました。だって、私の手柄じゃないですか? 優越感を楽しみたいのに、私より算数ができない子に答えを教えなきゃいけない。でも、途中から『みんなができることのほうが嬉しい』と感じるようになるんです。そうなると、隣の子ではなく隣のグループと競争することに変わってくる。独り占めせずに教えるようになると、どうすれば分かりやすいかを考えるようにもなるんです」

 競争の前に協調。ナージャさんはそんなイギリスの小学校に次第に馴染んでいくが、すぐにパリに引っ越すことになった。パリの小学校では机が向かい合わせに円や四角になって、真ん中に先生が入って授業をするスタイルだった。おしゃべり好きなフランス人は子どもの頃からなのか、教室では「議論することが良し」とされる文化だった。

■まるで「小さな国連」 あさがお育てにも一波乱

「(円状に座るのは)みんなと喋りやすくて、まるで小さな国連のようでした。色んな国から来ている生徒も多くて『私は何者なのか』『何を信仰するのか』といったことも度々議論になりました。私の家は無宗教でしたが、なぜそうなのかは考えたことがなかった。でも、ディスカッションを通して自分がどんな国から来て、どんな思考タイプなのかを考えるきっかけになったんです」

次のページ
白熱する生徒に先生は?