錦鯉が所属するSMAの先輩、バイきんぐの小峠英二は、「雅紀は人間そのものが面白い。渡辺はオールマイティー。トークもプロデュースもうまいし、作るネタが面白いから、我々も作家として入ってもらってる」(撮影/加藤夏子)
錦鯉が所属するSMAの先輩、バイきんぐの小峠英二は、「雅紀は人間そのものが面白い。渡辺はオールマイティー。トークもプロデュースもうまいし、作るネタが面白いから、我々も作家として入ってもらってる」(撮影/加藤夏子)

「売れなかった時代もうじうじせず、機嫌良く粛々とお笑いやってて。哀愁を通り越して、一番バカなことやってる、みたいな。それは、みんなに愛されるよなって。失礼な言い方かもしれないですけど、2人とも、やっぱカワイイですから」

 錦鯉のコンビ結成は2012年。2人とも別の相手とコンビを組んだり、ピン芸人として活動したりしていた時期がある。それぞれ平坦(へいたん)ではない人生を歩んできた。

 長谷川は、北海道の商家の出身。祖父が札幌市内の市場で珍味と乾物の土産物屋を営み、父が後を継いだ。幼少期は商売も順調で、姉はきれいなワンピースに身を包み、日本舞踊、お茶、エレクトーンと習い事三昧。長谷川も、姉と英語教室に通っていた。

 劇的に生活が変わったのは、長谷川が小学1年生の時。父が事業の取引相手に騙(だま)され、店を乗っ取られたのだ。長谷川は「一家で奈落の底に落ちた」という。以来、父は外に働きに出ても長続きしなくなった。父が、それまで姉の私立高校進学のために母・幸子が貯(た)めておいたお金をパチンコで使い込んだとき、両親が口論になった。結局は幸子が、女手一つで姉、長谷川、弟の3人を育て上げた。長谷川が高校を卒業する前に両親は離婚。父は20年に他界した。

■お笑いの道を反対した母 M-1優勝を見せられず

 幸子は、忸怩(じくじ)たる思いがあるのだという。

「大きな家に住んでいたのに、雅紀は小1でお風呂もないアパート暮らしに。私が朝から晩まで働きに出ていたから、すっかりおじいちゃん子になったわね。心残りは、高校を出た後に入ったデザインの専門学校のこと。学費が払いきれなくてね」

 長谷川はデザインの専門学校に入学後、半年で辞めた。ホストクラブをはじめ、バイトを転々とするうち、バイトの先輩が主宰する劇団に誘われた。顔立ちがはっきりしていて、上背もある長谷川は、初演でいきなり主役に抜擢された。芝居の中で、人を笑わせる場面があり、長谷川は、「お笑いは、客の反応が直に伝わるのが面白い!」とのめり込む。そこで高校の同級生だった久保田昌樹と、94年に新設された吉本興業札幌事務所(現・札幌支社)の門を叩く。オーディションに合格し、1期生に。23歳にして、お笑い人生が始まった。

 一方の渡辺は、下町情緒あふれる東京都江戸川区葛西の出身。根っからの「テレビっ子」だった渡辺は、小5でダウンタウンの番組を見て、お笑いにハマった。中央学院大学に進学後、大学3年生の時に高校の同級生だった江波戸邦昌とともに、東京NSC(吉本総合芸能学院)に入った。「憧れのダウンタウンさんのようになりたい」一心からだった。

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