渡辺には、長谷川が「原石」だと映った。

「雅紀さんは存在そのものが面白いから、へんに細工をしなくても、いるだけでいいんだよと。フロントマンとしては最高の人ですよね。優勝する何年か前から、この人(長谷川)にどんなネタをやってもらおうかということが、四六時中、僕の頭の中にあったと思う」(渡辺)

「とことんバカ」を張れる長谷川と、冷静にコンビのプロデュースができる渡辺とがマッチした。漫画みたいな動きでボケを炸裂させる長谷川のアツさと、半歩後ろに立って沈着なツッコミをする渡辺の対比が笑いを誘う。長谷川が不思議ワールドへぶっ飛んでも、渡辺は緩急をつけて小気味よくツッコミの手綱を捌(さば)く。正反対な2人による「ギャップの妙」で笑わせる古典的なスタイルの漫才を作り上げた。

 それに加えて、「プロの芸人からの口コミ力」という強力な援護もあった。

 年間1千本を超えるお笑いライブを仕掛けるK-PRO代表の児島気奈(40)は、錦鯉はブレイク前から、芸人の間で人気があったという。

「コワモテのおじさんで、錦鯉さんにキャーと喜ぶ若いファンはつかなかった。でも、まわりの若い芸人さんたちが『絶対ブレイクしますよ、このおじさんたち』と口コミで広げていて。それで錦鯉さんに出演を頼んだら、舞台上の芸人さんたちがすごく楽しそうだったんです。トークコーナーも、いつも以上に盛り上がって。こんなに盛り上がるんだったら、また次も呼びたいなって、錦鯉さんに次々にオファーするようになったんです」

■芸が刺さっている感覚ない これからが本当の勝負

 錦鯉を組んでからの10年は、ライブ会場での客の反応もそこそこによく、「チャレンジの階段を上がる感覚がずっとあった。続けられた理由はそこにあると思う」と長谷川はいう。

 2015年からM-1にも挑戦し、毎年、準々決勝か準決勝までは勝ち進んでいた。18年に病気北海道に帰っていた久保田の訃報が届く。渡辺は「雅紀さんは売れなきゃいけない」という思いを強くした。長谷川は、志半ばで逝った元相方へのオマージュのつもりで、お笑いに打ち込んだ。2人は2カ月に一度、新ネタを5本つくることを課し、毎回ライブで10本のネタを披露し続けた。

 テレビ番組への出演機会がポツポツ増え、徐々に注目度が上がった20年には、M-1で決勝まで駒を進めた。翌年、満を持して優勝を勝ち取った。

 予選・本選とも持ち時間が限られているM-1は、いかに客の心をつかんだまま突っ走れるかが勝負になる。例年、M-1の予選で審査に携わる放送作家の田中直人(58)は、多くのコンビが時間内にネタを隙間なく詰めた結果、「話術の短編小説」のようなお笑いが並ぶようになったと語る。

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