
6月11日、国会で党首討論が行われた。
7月の参議院選挙を控え、普通なら、与野党党首が、国民にアピールしようと必死の論戦が行われるところだ。しかし、実際には、なんとも生ぬるい凡戦で終わった。
その最大の原因は何か。
立憲民主党の野田佳彦代表に、本気で政権交代を実現しようという気持ちが全くなかったからだ。
野田代表は、今最も国民が望むことは物価高対策だと指摘し、石破茂首相が、これまでにいくつかの対策に取り組んだことは認めたものの、その先の対策がないとして、石破政権の「無策」を批判した。
また、政治資金改革も選択的夫婦別姓も先送りで、結局何もやっていないという批判も展開した。
つまり、石破政権は国民の期待に全く応えていないという批判だ。
確かに、野田代表の批判には説得力がある。
何もしていないというのは言い過ぎだとしても、立憲の方が、消費税減税、ガソリン税の暫定税率廃止、企業・団体献金禁止、選択的夫婦別姓導入など、大きな課題について具体的提案を出して、真剣に国民の声に応えようとしているのは事実だ。
そのいずれについても、政府は、有効な対案を出さず、野党の提案を批判するだけで終わっている。まるで与野党が逆転したかのようだ。
そんな政権は、どう考えても信任するわけにはいかない。したがって、石破内閣の不信任案を提出し、それを可決させて、内閣総辞職か、国民に信を問う衆議院の解散総選挙の選択を石破首相に迫る。それが野党第1党の立憲に課された責務である
どこにも迷う余地がない。
つまり、「内閣不信任案は出す」、それで決まりのはずだ。
ところが、野田代表は、その考えを一切表明しない。
出すべき不信任案を出すか出さないか決められないのは、実は、出したくないからだと思われても仕方ない。それ以外に理由がないからだ。
もちろん、野田代表も、その批判をよく認識しているようだ。
そこで、不信任案を出さない「大義名分」を必死に探し続けている。
つい最近も、年金改革法案について、自民党が国民の批判を恐れて厚生年金の資金を一部使って国民年金の底上げをする策を法案から削除したのに対して、立憲がそれを法案に入れる修正案を出した。自公がそれをのんだことを受けて立憲は賛成に回り、同法は成立した。
この時、野田代表は、年金という国民にとって最も重要な制度について、政局に利用するのではなく、与野党が真摯に話し合ってより良い政策を実現することができたと胸を張り、石破首相を持ち上げて、不信任案を出さない理由にしたいと考えたのではないか。
しかし、実際には、今回の改正は、単に課題を5年後に先延ばししたに過ぎず、国民はこれを評価しなかった。不信任案を提出しない大義名分作りは空振りに終わったのだ。