というわけで、連載の新しいスタイルに挑戦中なのだが、「一冊の本」の連載の要請はすぐに受けてしまった。最大の理由は「月刊」だから。一年で終わらせたい(著作二百冊プロジェクトが頭にあって、その中の一冊に入れたかった)、そのためには一回あたり何枚もらえますか?

 結果、五十枚ずつ、一年でという条件にOKが出てほっとした。これで、一番慣れているスタイルで連載できる――この業界では、形から入ることも大事なのだ。

 スタイルが決まれば、次は内容だ。

 私の警察小説のシリーズは、基本的に同じ世界観で書いている。だから、あるシリーズの登場人物が別のシリーズに登場することもある。

 これとは別に、メディアを舞台にした小説(シリーズというわけではないが世界観は共通している場合が多い)では「東日新聞」という架空の新聞を舞台に、記者の活躍を描く作品が多い。東日の記者の「初出」は、デビュー二作目の『雪虫』(中公文庫)だから、かなり長く書き継いでいることになる。『虚報』(文春文庫)では誤報を巡るトラブルを、『小さき王たち』(ハヤカワ文庫)では東日新聞と政治の五十年に及ぶ戦いを描いてきた。『真実の幻影』もこの「東日新聞」が舞台になっている。

 時々記者を主人公に書きたくなるのは、記者という仕事は何を取材してもいいからだ。もちろん、記事になる前提の取材だが、普通の人だったら触れることのできない情報をキャッチし、会えない人に会える――だから、何かを抉り出すような物語を、警察小説とはまた違うスタイルで書けるわけだ。

 ここで注目したのが、「過去の検証記事」である。過去の出来事に改めて光を当て、「真相はどうだったのか」「関係者はどう考え、どう動いたか」と検証するような内容の記事が好きなのだ。新聞社ならではの取材力を生かした、現代史を振り返るような記事は、非常に読み応えがある。

 時間が過ぎれば、当時は口を閉ざしていた人も「もう時効だから」と話すようになることもあるだろう。現代史は、その時に記録されたものだけではなく、後に検証した方が、より客観的に、正確になることもあると思う。生ニュースを伝えるのも大事だが、現代史の出来事を後から検証するのも新聞の大事な役目だ、と考える次第である。

 そういうわけで『真実の幻影』は、過去の事件を掘り起こす中で真実に辿り着く――という話を展開した。しかしある人にとっての「真実」は、別の人にとっては幻かもしれないというのが、タイトルにこめた意味である。

 本書の中の真実は何なのか、読む人の感じ方次第だ。そこは読者の皆さんに委ねたいと思う。

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