
5月7日刊行予定の堂場瞬一さんの最新作『真実の幻影』。テーマは、記者の視点から警察に鋭く切り込むサスペンス。本記事では『真実の幻影』の創作秘話はもちろん、作家が避けて通れない、原稿の裏話も掲載している。
堂場さんは、本書の中の真実は何なのか、その答えを読者に委ねるといっている。
『真実の幻影』。このタイトルにかけた堂場さんの思いとは? 本書を手に取って、ぜひ堂場さんの問いに答えてほしい。
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まずは「枚数」から
『真実の幻影』 朝日新聞出版より5月7日刊行予定
四半世紀近く作家業を続けているうちに、様々な変化を経験してきた。このところ対応に苦慮している変化は「連載」だ。
駆け出しの頃からずっと、私にとって文芸誌の連載は、一回五十枚(この業界は原稿用紙の枚数が単位だ)が基準だった。これを一年間続けてトータル六百枚、それで一冊の本になる計算である。「五十枚」「毎月」「一年」「トータル六百枚」というのはいずれもキリがよくて計算しやすい。五十枚はちょうど一日で書き上げられるし、一年間の連載というのは集中力が続く長さとしてちょうどいい。そして六百枚は、単行本なら三百五十ページ、文庫なら四百ページ少しと、いい感じのサイズ感になるのだ。これに慣れてしまったせいか、書き下ろし作品も、六百枚ぐらいが一つの目安になっている。
しかし近年、こういう基準が崩れ始めた。月刊が普通だった文芸誌は、隔月刊、さらには季刊も珍しくなくなっている。そうなってきた理由は長くなるので書かないが、これまで「五十枚」「毎月」「一年」「トータル六百枚」で体と頭を慣らしてきたせいで、この変化には苦戦を強いられている。
この中で何を一番重視するかというと、連載期間だ。隔月刊で五十枚ずつの連載だと、一冊の本に仕上げるのに二年かかる。これはいかにも長い。これまで通り一年でまとめるには、一回あたりの分量を長くするしかなくなる。
その結果、一回百枚というのも普通になってきた。これはまあ……二日で書ける枚数だが、一ヶ月おきというのがなかなか苦しいのですね。前回書いていた内容を忘れてしまうし、かといって一気に全部書いて、分割して毎号提出するまでの余裕はない。
隔月刊でこれだと、季刊の場合はもっと苦しい。一年で完結させるためには、一回百五十枚×四回という、なかなかの荒業になるわけだ(実際に経験あります)。