
今から30年前の1995年4月15日、巨人・落合博満がNPB史上27人目、史上最年長の41歳4カ月(当時)で通算2000本安打を達成した。だが、名球会入りの条件をクリアしたにもかかわらず、落合は“オレ流”を貫いて入会を辞退し、大きな波紋を呼んだ。
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中日から巨人にFA移籍した落合は、1年目の1994年、4番打者として打率.280、15本塁打、68打点を記録して、第二次長嶋茂雄政権の初Vに貢献。プロ16年間の通算安打数も「1992」となり、2000本の大台まであと「8」に迫った。
だが、翌95年の開幕戦を2日後に控えた4月5日、落合は2000本安打を達成しても、名球会入りを辞退する意向を表明する。
その理由は「2000本安打は別に目標でもないし、1999本と2000本の差はどこにあるのか。それなら自分のプロとしてのキャリアを、球界に在籍したら誰でも入れるプロ野球OB会で役に立てたい。それに専心するためにも、名球会は辞退させてもらうことにした」というもの。
この発言について、名球会代表幹事を務めるダイエー・王貞治監督は「(落合が2000安打を)打つ前からそういうことを聞くのはどうかと思うよ」としながらも、「入るか、入らないかはこっちが決めることじゃない。嫌なものを引っ張って入会させるようなことはしていない」とコメントした。
名球会は1978年に金田正一氏の提唱によって設立されたが、入会辞退はもちろん前代未聞の事態だった。
3月20日に発生した地下鉄サリン事件を受けて、東京ドームに1080人の警備員が動員される厳戒態勢のなかで迎えた4月7日の開幕戦(ヤクルト戦)。騒動の主人公となった落合は、2回にチーム初安打となる中越え二塁打、8回に右前安打を放ち、2000本まであと「6」とした。