「何かにつけ」とは、中日時代の1991年に日本人選手として初めて年俸調停を行い、翌92年に選手会を離脱したことなどを指しているようだが、当時は野村監督のみならず、“名球会入り拒否”を単なるわがままと捉えて批判する者も少なくなかった。

 これらの騒動について、現役引退後の落合氏は、2023年8月1日に公開された自身のYouTubeチャンネルで、事前に「必ず入らなきゃいけないんですか? オレは入りたくないんだけども」と長嶋監督に相談したうえで、「それでいいよ」と許可を得ていたことを明かし、「だから、入る前にちゃんと相談してね。ちゃんとしたルートで断りは入れて。だから、打ったときブレザーも何も持ってきてないでしょ。名球会が了解したっていう意味ですよ。それが『たった1人だけ、造反して入らない』とかっていうような言われ方、書かれ方したけども」と振り返っている。

 あれから30年。その後、名球会入りを辞退した選手は現れていないが、昨年5月19日に日米通算200勝を達成したダルビッシュ有(パドレス)が「セレモニー的なこと(ブレザー授与式)はもう少し先でお願いします」と入会を先送りにしている。現役引退など野球人生の区切りのときに入会するという意味に解釈できるが、今後の成り行きも注目される。

(文・久保田龍雄)

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