桑田真澄の危険球退場後に悪夢の逆転負けを喫した翌8日は4打数無安打に終わるが、9日は1対3の9回に高津臣吾から中越え二塁打を放ち、広沢克己のタイムリーを呼び込んだ。
4月11日の横浜戦でも、落合は2回に中前、4回に左前とマルチ安打を記録し、順調に数字を積み重ねていくが、「あと『3』ですね」と報道陣から水を向けられても、「全然関係ないよ」とそっけなかった。
さらに12日の横浜戦でも3回に遊撃内野安打、13日にも0対3の9回に佐々木主浩から完封阻止のシーズン1号の左越えソロを記録。試合後、報道陣の「あと1ですね」の問いかけに、落合はニヤリとしたが、実は、すでに12日の時点で球団を通じて名球会入りを正式に辞退していた。
14日の阪神戦。「今日は決めてくる」と信子夫人に告げて自宅を出た落合だったが、藪恵壱の前に併殺打を含む内野ゴロ4つの4打数無安打。試合後、報道陣がゾロゾロ後をついてくると「こんなに一杯ついてきたって、何も出ないよ」とうんざりしたように言った。さらに帰宅後も7歳の息子・福嗣君に「パパの嘘つき」と泣かれる羽目になった。
翌15日も阪神の先発・仲田幸司に1打席目は遊ゴロ、2打席目も二ゴロに打ち取られ、前日から6打席連続無安打と足踏みが続く。
だが、1対3の6回、カウント2-2からファウルで粘り、2番手・久保康生の7球目、スライダーを左中間席に125メートルの大アーチ。500本、1000本、1500本に続き、通算2000本目も本塁打で節目の記録に花を添えた。
試合後の会見で改めて名球会辞退の理由を問われた落合は「任意団体だから、入らない自由もある。名球会を目指して野球をしていたわけじゃないから。400、500本しかヒットを打っていないころから、入らないと言っていたしな」と説明した。
そんな“オレ流”の考えに異を唱えたのが、ヤクルト・野村克也監督だった。
「何かにつけ悪い前例を残すな。誰のお蔭で好きな野球をやって、何億も稼いでいるのか。プロ野球の創始者、諸先輩、ファンがあってのもの。(名球会は)そんな人たちに恩返しをしようという団体なのに」と批判した。