退職した龍谷大平安の原田英彦監督
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 龍谷大平安(京都)野球部を32年間率いてきた原田英彦監督(64)が、部員に暴力をふるった責任をとって退職した。同校は春夏合わせて全国最多76回の甲子園出場を誇る強豪校。同校OBである原田氏は1993年から野球部監督に就任すると、春夏合わせて甲子園に19回出場し、97年の夏(全国選手権)には準優勝、2014年の春(センバツ)には全国制覇を飾っていた。

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 同校の3月5日の発表によると、原田氏が課題ノートを提出していなかった2人の部員を2月13日夜に寮のロビーに呼び出し、1人の部員に対して紙製のノートで頭や喉付近を10回以上たたく行為を繰り返し、もう1人の部員には手のひらで頭部を5回ほど叩いたという。翌日、部員が授業を欠席したため、教諭が事情を聞いたところ「原田監督から暴力を受けたため登校できません」と話したことで発覚した。原田氏は暴行を認めて退職届を提出。3月2日付で退職が決まった。

 高校野球界を代表する指導者だった。93年秋に33歳で母校、平安の監督に就任すると、97年夏にエース川口知哉(元オリックス)を中心に41年ぶりに決勝進出を果たした。08年に龍谷大平安に校名を改称。14年春は2年生エースの高橋奎二(ヤクルト)を擁し、春のセンバツを初制覇した。プロ野球に進んだ教え子も多く、川口や高橋のほか、炭谷銀仁朗(西武)、酒居知史(楽天)、西川史礁(ロッテ)、今浪隆博(元ヤクルトなど)、赤松真人(現広島コーチ)らがいる。

 強さを維持し続ける秘訣は「日本一のウォーミングアップ」と呼ばれるトレーニングだ。関節の可動域、柔軟性の強化に力を入れ、倒立、ブリッジウォーク、ほふく前進など数十種類のメニューをひたすら行う。冬場は2時間かけることもあり、部員たちは厳しいトレーニングに表情をゆがめながらも必死についていく。設備投資にも力を入れ、2012年に完成した両翼100メートル、中堅120メートルの球場は内野の土に甲子園と同じ土を使用。外野は全面人工芝とプロ野球に見劣りしない環境だ。

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