つば九郎
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 ヤクルトの名物マスコット「つば九郎」の残した功績と存在感の大きさが、日に日に大きく感じられる。

【写真】惜しい! くるりんぱに失敗したつば九郎

 2月19日、球団からつば九郎の担当者(いわゆる「中の人」)が病気で死去したことが発表されると、野球界のみならず多方面で哀悼の意が寄せられた。日本スポーツ界に与えた影響の大きさが浮き彫りになったとともに、「野球殿堂入りすべき」という声まで出始めている。

「ここまで大きく注目されることがスゴい。つば九郎はキャラクターとして独自の地位を築き上げた。アイドルのように愛想を振りまくだけでなく、時にブラックジョークを交えて周囲の大人を『引かせる』こともある。見た目の可愛さからは想像できない多様性を発揮することで人気が出た」(スポーツマーケティング会社関係者)

「燕」らしからぬぽっちゃりとしたフォルムがトレードマーク。1994年4月9日の阪神戦(神宮)で初出場、以来2000試合以上にわたって球場を盛り上げてきた。時事ネタを盛り込んだ「フリップ芸」、決して成功しない「空中くるりんぱ」など、見るものを飽きさせないキャラクターだった。

「つば九郎と中日・ドアラは見た目の可愛さに加え、オリジナルの芸風を持っている強みがある。他球団でも広島・スライリーなどは人気があるが、見た目からしてMLBフィリーズのフィリー・ファナティックそっくりで個性はそこまで強くない。キャラが立っていることが(つば九郎の)何よりの武器だった」(スポーツマーケティング会社関係者)

 球団マスコットといえば1980年代に阪急ブレーブスを盛り上げた「ブレービー」がパイオニア。「中の人」を元巨人ドラフト1位の島野修氏が務めたこともあり話題となった。その後も多くの球団がキャラクターを採用したが、つば九郎のような存在感を発揮するまでには至っていない。

「(つば九郎も)初出場時から今のスタイルではなかった。当時は他のキャラクター同様、グラウンド内に出てファンに手を振るような感じ。試行錯誤を重ね、独自のパフォーマンスを作った。許されるギリギリのラインを攻めることで問題視されたこともあった。それでもやり遂げた。上昇志向が強いプロのキャラクターだった」(ヤクルトOB)

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“唯一無二”だったつば九郎の存在