引退レースの1990年有馬記念で優勝したオグリキャップ(左)

オグリキャップ末裔不振、元オーナーの夢 世紀末蔵出しワイド

 バブル景気末期に始まった空前の競馬ブーム。その立役者だったオグリキャップ(16)の引退から今年で十年。二世の活躍が待望されたが、この子供たち、ちっともお父さんに似なかった。
 

 まずは、伝説の名馬、オグリキャップ(以下オグリ)の華麗なる実績を振り返るとしよう。北海道の弱小牧場で生まれたオグリは、血統的な評価も低く、地方の笠松競馬場でデビューした。

 ところが、またたく間に頭角を現し、地方で十勝。中央に転身しても強豪馬を一蹴して、六連勝。その年の有馬記念も制して、「芦毛の怪物」と呼ばれた。

 六歳の秋には、不振に陥ったが、引退レースの有馬記念で武豊騎手を背に復活勝利。この「奇跡のラストラン」は日本中を興奮させたものだ。

 引退後は種牡馬としても、一流に扱われた。総額十八億円のシンジケートが組まれ、種付け料は一頭あたり約三千万円と超高値。初年度は六十五頭の良血繁殖牝馬に恵まれた。

 ところが、デビューした子供たちは、怪物どころか凡才ばかりだった。オグリの元調教師が言う。

 「オグリはもともと地方のダートコースで走る適性を考えて配合された。中央の芝コースで、あれほど活躍するとは考えられなかったんです。子供が同じように走るかは、疑問だった」

 血統的に見れば、オグリが活躍したこと自体が奇跡だったのである。オグリの種牡馬としての評価は暴落し、いまではオグリの子供を種付けする生産者もほとんどいなくなった。

 「今年度の種付けは七頭だけ。種付け料も百万円以下です」(オグリを管理する優駿スタリオンステーション)

 現在、オグリの子供のほとんどを引き取っているのは、笠松競馬場時代のオーナー、小栗孝一氏(69)だ。当時、中央競馬界の馬主資格がなかった小栗氏は、仕方なく第三者にオグリを譲渡した。しかし、その後もオグリのレースを見るため、中央の競馬場に欠かさず足を運んだほどだった。

 「最後の有馬記念を勝ったときは本当にうれしかった。親孝行してくれた息子だと思っています。もう一度、キャップの子供で、有馬記念を勝つような馬が出ることを夢見ているんです」

 オグリが余生を過ごす優駿スタリオンステーションには、いまも多くの競馬ファンが訪れている。一日じゅう滞在するファンもいるそうだ。

 オグリ二世の誕生に思いを馳せているのだろうか。

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