巨人時代の大田泰示
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 DeNA・大田泰示(34歳)の現役引退には労いの声と同時にユニフォームを脱ぐことを惜しむ声が多い。「ゴジラ2世」として期待された男は決して思い描いていたようなキャリアを歩むことはできなかったが、それでも球界にしっかりと足跡を残したのは間違いないだろう。

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「悔いとか、後悔はありません」

 11月18日、DeNA球団事務所で行われた引退会見で、大田は“らしい”明るい雰囲気に終始した。

「シャイプされた体を見ると引退は早過ぎると感じる。起用方法によってはまだある程度の結果を残せると思うので、時間をかければ獲得球団も見つかったと思う。戦力外から引退発表まで時間が短かったのは意外だったが、本人の中では燃え尽きた感じがあったのかもしれない」(DeNA関係者)

 神奈川の東海大相模高時代に通算65本塁打を放った大田は、2008年のドラフト1位で巨人に入団。同チームで長年主砲として活躍した松井秀喜氏の背番号「55」を受け継ぎ、入団時の指揮官であった原辰徳監督とは同じ高校出身、“ストーリー性”は抜群でファンの誰もが大成することを夢見た。だが、プロ入り後は伸び悩んだ。巨人では8年間プレーして225試合で9本塁打、40打点と思ったような成績を残せずチームを去ることとなった。

「松井氏のような主軸打者としての活躍を期待をされた。打撃では得意なコースに来た時の打球の飛距離はすごかった。しかし、技術的には不器用で柔軟性がなかったため対応力には問題があった。周囲からの重圧にも苦しんだと思う」(巨人OB)

 松井氏がヤンキースへ移籍した後、6年間空いていた背番号を託された。原監督も「近未来の核になる選手です」と公言、自ら鍛え上げようとしたが期待された成長曲線を描けず。グラウンド内外における周囲からの逆風も強くなり、ファーム時代の試合中にはスタンドのファンと言い合いをする出来事も起こった。

「ジャイアンツ球場での二軍戦だった。『背番号55が泣いているぞ』というヤジに、『うっせーぞ』とやり返した。動画サイトにも残っていて確認できるが、その瞬間は球場内が凍りついたのを覚えている」(現地で取材していたカメラマン)

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苦悩した巨人でのキャリア