「ナルゲキ」はK-PRO専用の常設劇場。かつてのクラシックコンサート会場を借り受けたため、椅子はふかふか。10人のスタッフと共に、ナルゲキをすべての芸人のホームグラウンドにしたいと意気込む(写真/小山幸佑)

「でもお笑いのことだから自然とできるだけで、別のことでできるわけではないんですけどね」

 まだ下町の匂いが残る東京都大田区で生まれた。家業はペンキ店。1階が店舗、2階には両親、2人の妹、そして祖父母が同居し、3階は父の弟一家が住む大家族の中で育った。

 夕食は大勢で食卓を囲むが、みんなの視線は常にテレビ。バラエティー番組にチャンネルを合わせ、笑いながら食事をするのが日課だった。特に父・幸男(68)は、かつてのお笑いの番組を大量に録画していて、コント55号などの面白さを折に触れ娘に話した。

「僕らが子どもの頃、バラエティー番組は一家だんらんの象徴。家族みんなで笑える楽しさを、娘たちにも伝えたかった」

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 幸男のお笑い好きはただのファンの域を超えていた。食いつきの良かった長女に、ボケとツッコミの言葉の妙だけでなく、漫才師の仕草から生まれる笑いの間合いや、どこに注目したら面白さが2倍になるかなどマニアックな見方も伝授。

 父の薫陶を受けた娘は小学生になると自分の好きなお笑い番組を録画し、そのビデオを夕食時にみんなに見せる。家族に笑いが生まれると、自分が認められた気がした。特に、お笑いの力を知ったのは母・和子(68)の笑顔だった。

 当時母は、全ての家事をこなすだけでなく、従業員の世話や寝たきりだった祖母の介護もあり、疲れ切っていることが子ども心にも分かった。だが、児島が録画したお笑い番組を見る時だけは心から楽しそうだった。

 母をもっと笑顔にしたい──。児島はお笑い番組を片っ端から録画。時間がない母のため、録画したものの中からお気に入りを選び見せた。そんな毎日を繰り返すうちに、小学生の児島はお笑いにどっぷりはまった。児島がしみじみ振り返る。

「子ども時代に野球やサッカーをしていた少年たちの多くはプロを夢見る。でも実現できる人は一握り。幼い頃から父にお笑いの指南を受けた私は、夢を実現した野球やサッカー小僧と同じかも」

 ただ、順風満帆に歩を進めたわけではない。人生の初スベリは中学の入学式直後。自己紹介の際「児島気奈です。好きなものはお笑いです。なので、つぶやきシローさんの物まねをします」と芸を披露すると、教室中が静まり返った。

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