ライブが始まる前、出演者に香盤表を説明しつつ音響、照明、動画配信などのスタッフにも指示。コロナ禍の時は苦境に立たされたが、動画配信に力を入れ芸人の活躍の場を確保、会社の窮地も救った(写真/小山幸佑)

「児島は芸人さんのために役に立ちたいという思いが強いのは分かっていた。それにいつも笑みを絶やさず、他のスタッフや芸人さんたちにとても好かれていたので、彼女と組めばうまくライブも回せるんじゃないかと」

 そのライブは大成功。04年に児島と松本はK-PROを設立した。

 初主催の公演は新宿にある70人規模の小劇場だった。K-PROだけで初めて会場を借り、企画・制作・運営も手掛けるとあって児島は武者震い。知り合いに声をかけ、チラシを何百枚と配ったところ、立ち見が出来る大盛況だった。

 だが、3カ月後の2回目は大コケ。1回目の成功に気を良くし、黙っても客は来ると告知に手を抜いてしまったからだ。数えるほどの客の前で懸命に笑いを取ろうとする芸人たちに詫(わ)びた。するとある芸人がこう返した。「大丈夫ですよ。僕たちはどんな小さな舞台でも一生懸命やりますから」。児島は小さな舞台と言われたことが情けなかった。

「芸人さんたちに恥をかかせてしまった。本当に申し訳なくて……。次回からは絶対にすべて満席にしようと告知に力を入れ、舞台の臨場感を味わってもらえるよう照明や音響にも力を入れました」

 会場を埋めるには、人気芸人を呼ぶのが手っ取り早い。彼らが所属する芸能事務所に片っ端から依頼するがことごとく断られた。実績のない主催者に大事な芸人は貸せないと。ただ単に、芸人に近づきたいだけじゃないかと疑われたこともある。そんな苦境を打破してくれたのが、元フォークダンスDE成子坂の故村田渚だった。

「事務所には断られましたが、本人が依頼ファックスを見たらしく、出演する、と。村田さんに出演していただいたおかげでその後は、彼が出たライブならと他の事務所も協力してくれるようになったんです」

 村田がMCも務めてくれ、3回目のライブは成功。その後も改革を重ね、06年に業界の相場よりも高い出演料を支払うようにすると、人気芸人も出演してくれるようになる。K-PROライブは若手芸人がネタを披露できる場としてだけでなく、事務所の垣根を越え、芸人同士をつなぐ場にもなった。

1日3回以上開催するライブのため、会場から会場へ。リュックにはパソコン、資料、ライブ配信器材などがぎっしり。スタッフは児島が食事をする姿を見たことがないという(写真/小山幸佑)

(文中敬称略)(文・吉井妙子)

※記事の続きはAERA 2024年10月14日号でご覧いただけます

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