裏方に徹するため、常に目立たないよう黒い洋服に身を包む。芸人に対する尊敬の念は半端なく、大学のお笑いサークルで活動するアマチュアまで知っている。芸人のパネルの傾きも気になる(写真/小山幸佑)

 芸人が好きな女の子は変わった人と見なされた。児島はあの時に覚悟が決まったと述懐する。

「他人と話を合わせるのは止めようと。一人になっても、お笑いから目を逸(そ)らさないと決めました」

 当初、母や家族に見せるための録画だったが、中学になるとお笑い熱が高じ、バラエティーだけでなく芸人が出演する番組をすべて録画。家にあった5台のビデオデッキをフル稼働させ、芸人関連のシーンだけを編集した。また芸人に関する新聞、雑誌の切り抜きはもちろん、ラジオの深夜放送もラジカセに収録。それでも飽き足らず、関東圏以外のお笑い関連情報を得るため、全国のお笑いファン50人と文通しながら情報を収集した。

 高校3年になったばかりの頃、文通相手から東京・中野で開催されるお笑いライブを手伝いに行かないかと誘われた。それまでライブに行ったことはなかったが、芸人に会えるかもしれないと浮足立った。ところが出演者は知らない人ばかりで、仕事はチケットもぎりと客の場内誘導。

 不貞腐れながら楽屋で腰を下ろしていると、一人の芸人が近づき声を荒らげた。

「今日から来たスタッフか? 何サボっているんだよ。しかも上座に座って! ふざけるな!」

 一瞬、体がこわばった。だがすぐに負けず嫌いの魂が頭をもたげ、次からは手伝ってくれてありがとう、と言われるスタッフになってみせると決意、主催者に次のライブの日程を聞き、手伝いに通うようになった。

 大学入学後もライブの手伝いに没頭。そのうち、顔見知りの芸人たちから「今日も来たの」「いつもありがとうね」と声を掛けられるようになり、それがたまらなく嬉しかった。次第に児島は、自分でもライブを主催したいと思うようになる。

ライブのたびに出る赤字 バイトかけもちで補填

 K-PROの共同代表者である松本剛(44)が初めて児島と会ったとき、松本は芸人だった。

「児島は『私は仕事をやっています』というアピールなのか、いつもバタバタ走っていた。それがウザくって……」

 印象は良くなかった。だが、ライブの打ち上げで話をしたところ、笑いについての考えは一致していた。ある日、松本はライブ主催者から発想力を買われ企画を自分でやってみないか、と誘われた。松本は芸人に見切りを付けようと考えていた時期でもあった。主催者側に回るのも面白いと考え、児島ともう一人の女性に声をかけた。

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初主催の公演は新宿にある70人規模の小劇場