伊是名:私の小学生の子どもは買い物や駅で困ったときなど、店員さんや駅員さんにどんどん聞くんです。私は日常生活で困ることがありすぎて、「人に聞く」シーンがすごく多い。それを見てきた子どもたちは「必要なときは助けを求めていい」が当たり前になっているし、それで逆に、「助けること」もすごく上手になっている気がします。

藤原:私の娘もそうです。私の姿を見て「社会は助けてくれる」ことを学んできたと思います。その点でも障害者の生き方ってすごく参考になるはず。みんながもっと知ってくれたら、社会が変わるのにな、と思います。

伊是名:一方で、日本では女性が「ケアする役割」を担わされるので、ケアされる側だと思われている障害女性は、子育てをうまくできないと決めつけられるつらさはあります。

 私も妊娠・出産の過程で義両親や両親に反対された経緯があり、「反対されたからこそ、親には頼らずがんばらないと」と思い込んでいたところがあった気がします。加えて、「障害があるからこそ、いい母親になりたい」と思い込んでいた部分も無意識にあった。

 でもアメリカに家族旅行に行ったとき、何人かの米国人から「あら、娘さんかわいいわねー!」と言われたんです。日本では私が子どもといても私を母親認定する人は少なく、子どもの方に「お母さんのお手伝い偉いわね」とか声をかけたりするけど、アメリカで投げかけられたカラリと明るい言葉で「私はやっぱり母親になりたかった」と思い出せたんです。そういう「肯定的に見られているとわかるメッセージ」ってすごく大事だなと思いました。

藤原:すごくわかります。子どもといると、子どもが周囲から「えらいねー」「ママのお世話してあげてね」と言われる。私はそれが本当に嫌で、だからつい、あなたは私の面倒見なくていい、ヘルパーさんがいるんだから、と「娘に助けを求めちゃいけない」という決まりごとを自分の中で無理やり作ってしまった。そこを自然にできたら、もう少し助け合える母子でいられたかなと反省することもあります。

伊是名:「障害のある女性だからこそのつらさ」は、目に見えることだけじゃなく、いま藤原さんがおっしゃったような目に見えないものも幾重にも存在することを、一つでも多く言葉にすることがまず大事だなと思っています。

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ
次のページ
「その次」に行かなきゃ、私たちはだめだと考えている