関ヶ原の戦いで小早川秀秋は「開戦直後」に寝返り? “逆転”ではなく序盤で決まっていた 「天下分け目の戦い」として知られる関ヶ原の戦い。これまで徳川家康が裏切りを逡巡する小早川秀秋にしびれを切らし、小早川隊に「問鉄砲」を撃ったことで戦局が大きく変化したと語られてきた。だが近年では、「問鉄砲」を否定する新説が登場している。小早川秀秋は合戦直直後に裏切っていたというのだ。関ヶ原合戦研究の最前線について、『動乱の日本戦国史 桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。 朝日新聞出版の本動乱の日本戦国史 9/25
桶狭間の戦い、織田信長の「迂回奇襲」という虚構 今川義元に対する「堂々たる正面攻撃」 戦国時代の合戦の中でも特に著名なのは、桶狭間の戦いだろう。織田信長が少数の軍勢で今川義元の大軍に挑み、敵の大名当主を戦場で討ち取った。桶狭間合戦の劇的な勝利は、信長の天才性・先進性を示すものとして現代まで語り継がれている。だが、歴史学者の呉座勇一氏によると、大胆で意表を突いた迂回奇襲作戦ではなかったという説が浮上しているという。『動乱の日本戦国史 桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。 朝日新聞出版の本動乱の日本戦国史 9/23
戦術家の上杉謙信と戦略家の武田信玄、川中島の教訓 戦略の失敗は戦術で挽回できない 北信濃の覇権をめぐり、武田信玄と上杉謙信が対決した川中島の戦い。五回にわたり行われたとされ、最大の激戦は第四次川中島合戦だった。あまりにも有名な合戦であるにもかかわらず、謎の多いことでも知られている。五度にわたる合戦でも明確な勝敗はつかなかったとされるが、歴史学者の呉座勇一氏はこの戦いをどう見るのか。『動乱の日本戦国史 桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。 朝日新聞出版の本動乱の日本戦国史 9/22
武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは創作だった 歴史学者が史料から読み取る合戦の実像 武田信玄と上杉謙信が北信濃の領有をめぐり起こった川中島の戦い。天文二十二年(一五五三)から永禄七年(一五六四)にかけて五回にわたり行われたとされ、最大の激戦は第四次川中島合戦だった。通説では、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちしたとされるが、歴史学者の呉座勇一氏は「後世の創作」だと指摘する。『動乱の日本戦国史 桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。 朝日新聞出版の本動乱の日本戦国史 9/21
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