広大なアフリカ大陸のうち25カ国を訪ねてきた、フリーランスライターで武蔵大学非常勤講師の岩崎有一さんが、なかなか伝えられることのないアフリカ諸国のなにげない日常と、アフリカの人々の声を、写真とともに綴ります。
1年半ぶりに西アフリカ・マリを訪れた岩崎さん。定宿へ向かう途中、以前訪れたときとそれほど変わらぬ風景を目にしてひとまず安堵(あんど)。そして到着するなり、うれしいハプニングが起こる。だがそれは今のマリ、そして“アフリカ”の現状を浮き彫りにする出来事でした。
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2016年1月30日の陽が沈みきったころ、私は西アフリカのマリ共和国の首都バマコの空港に降り立った。エンジンオイルが燃えた匂いのする排気ガス、信号待ちのたびにやってくる物売りの少年たち、道沿いのバーから聞こえてくる大音量の音楽など、定宿を目指すタクシーで感じる風景は、1年半前と何も変わっていない。運転手に、この間に何か変わったことはあるかと聞いてみたが、「何も変わっていませんよ。相変わらず、生活は厳しいです」との返答。生活をさらに悪化させるような新たなできごとが聞こえてこなかっただけでも、私は満足だった。
定宿に着き、以前と変わらぬ宿のスタッフたちと再会のあいさつをひとしきり交わしたところで、ドゴン族出身のスタッフのひとりから、「今晩のフェスティバルを取材に来たのだよね」と言われた。聞くところによると、ドゴン族の人々によるフェスティバルが、明日最終日を迎えるとのこと。私はこの催しを事前には知らなかったが、私にとってはうれしいハプニングだ。明日はその最終日。明朝に早速、「第一回ドゴン文化祭」の会場を訪ねてみることにした。
これまでに多くの観光客を魅了してきたドゴンについては、アフリカン・メドレー「ドゴンのマスク・ダンスを訪ねて」を参照されたい。
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2015052000018.html
バマコ中心部を流れるニジェール川のほとりにそびえるBCEAO(=ベセアオ/西アフリカ諸国中央銀行)ビルを臨む広場が会場となっており、午前中からすでに多くの人が集まっていた。
会場内には、ドゴンのマスクや彫刻品などを売る民芸品店や、ミレット(ヒエの一種)をはじめ、ドゴンの人々が暮らすバンディアガラの地域一帯で収穫される特産品を紹介するコーナー、ドゴン関連の書籍を扱った書店、家庭料理をふるまうレストランなど、20以上の展示ブースが立ち並んでおり、さながらマリ博覧会といった様相だ。出展者はもちろん、来訪者にもドゴン出身の人が多い。久方ぶりの再会を喜び合う風景が、あちこちで見られた。
展示ブースの隣には特設会場が設けられ、政府閣僚はじめ関係者代表によるあいさつが続いていた。その後、西アフリカで有名なコメディアンのアダマ・ダイコによる漫談で会場のムードが沸き上がった後、ドゴンの人々によるマスク・ダンスが披露された。300以上用意された座席は埋まり、会場を取り囲むフェンス周辺でも、少なくとも200人程の観客がこの文化祭を楽しんでいた。ドゴンのダンスを目にするのはこれで2回目となる私にとっても、マリの観光業の大切な担い手であるドゴンの人々による文化祭は、やはり魅力あふれるものだった。
この文化祭会場は、オゴバナという名の架空の村に見立てて作られている。展示ブースの中央部には、オゴバナ村の村長が住む家まで設けられていた。村長は、なぜか縫い物をしている最中。私は、村長の周囲に立つ4名の従者の一人に声をかけ、村長に話を聞かせてもらえないかと頼んだ。「村長は、外部の人間と直接話をすることはしない習わしなのです。私が村長に代わってお話しします」と、従者の男性は言う。少々残念な気持ちでインタビューを始めようとしたところ、縫い物の手を止めた村長が、私に向かって手招きをした。
そして、「あなたは、はるか遠い国からわざわざ、私たちの話を聞きに来てくれた。私は、あなたに直接、お話がしたいです」と声を掛けてくれたのだった。そして、村長のすぐ隣に、私のために腰掛けが用意された。