バンディアガラも例外ではなく、多い月には数百人の観光客が訪れていた日々から一転、月にゼロ~数人にまで落ち込んだ。観光客からの収入を見込んだバンディアガラの経済状況はたちまち逼迫(ひっぱく)し、現金収入は街で働く家族からの仕送りに頼るのみ。2015年に入ってからは、バンディアガラに暮らす人々の間では、とうとう物々交換が行われ始めたとの声も、後に別のドゴンの村人から聞いた。田畑を耕し、家畜を育て、収穫物を交換し合うだけの生活には、観光収入で現金を得て現代的な生活を始めている人々にとってはさすがに限界がある。貨幣がなければ、電気も使えず、携帯電話の通話料もチャージできず、街に出るタクシー代すら払うことができない。現況を耐え忍ぶだけでは、バンディアガラの生活はなんら好転しないがため、ドゴン自ら起こした行動のかたちが、この「第一回ドゴン文化祭」なのだった。
「マリの問題は、もう終わります。この問題は、長くは続きません。だから、マリを訪ねてほしい。ドゴンを訪ねてほしい。すべての人たちに向けて、ドゴンは開かれています」
オゴバナの村長はそう語り、また縫い物を続けた。
なぜ縫い物をしているのかをたずねると、彼は手を止め、ひと呼吸おいてから話はじめた。
「ここに、白い糸と黒い糸があります。白い糸は北を、黒い糸は南を表しています。2012年の衝突以降、マリは北と南に引き裂かれてしまいました。しかし、マリは一つです。ばらばらのピースになってしまってはいけません。また再び一つにまとまることを願って、白と黒の糸を撚りながら、マリの国旗を縫っているのです」
マリ北部には、トゥアレグをはじめとするホワイトアフリカの民族が、マリ南部はブラックアフリカの民族が多く暮らしている。 よって、村長はマリの民族を白と黒の糸になぞらえていたのだ。今も私は、マリの問題がすぐに終わるとは思えないでいるが、オゴバナ村の村長の言葉一つ一つには、生活の安寧を希求する思いが込められていると感じた。
※ホワイトアフリカとブラックアフリカについては、アフリカン・メドレー「アフリカ、サハラの海に隔てられたその先に」を参照されたい。
http://dot.asahi.com/asahicameranet/info/topics/2015100700018.html
2012年の衝突以前は、バマコのいたるところで旅行ガイドに声をかけられた。
「ドゴンダンスを見に行きませんか」「ジェンネのモスクまでのタクシーを手配しましょう」「トンブクトゥを訪ねるには最高のガイドですよ」といった決まり文句とともに、瞬く間にガイドに取り囲まれてしまう。
私がそれまでに訪ねた西アフリカの国々の中で、これほどツーリスティックな国は、他になかった。あまりにツーリスティックなためにマリを敬遠すらしていた私は、マリを訪ねても素通りしていたほどだった。
そんな私がマリの現況を注視している理由は、二つある。