――北京五輪では、本職の右翼は稲葉篤紀さん(日本ハム)が守っていたため、佐藤さんは左翼に回りました。不慣れなポジションでしたが感覚はどうでしたか。
経験がなかったわけではないので守れると思ったけど、正直不安はありました。練習で左翼の守備位置についたら心がざわついて。五輪という特別な舞台で重圧もあったと思います。
――準決勝の韓国戦で四回に左前打をトンネルし、八回には左中間の打球を落球しました。決して簡単な打球ではなかったと思いますが……。
後で聞いた話ですが、対戦した韓国があの球場で予選を戦って3失策していたんです。球場のつくりが独特で太陽の光がずっと差し込んでくるのでまぶしくて。もちろんエラーしていい理由にはなりません。(八回の落球は)打った瞬間に左中間を抜けると思ったら、追いつきそうで。でも、センターの青木(宣親/ヤクルト)を見て、「青木!青木!」って叫んでいました。青木頼む、青木来いよって。四回にエラーした時点で弱気になっていましたね。
阿部慎之助と森野将彦が食事に誘ってくれた
――3位決定戦の米国戦でも三回にフライを落球したのをきっかけに、逆転負けを喫しました。精神的なつらさは想像を絶するものだったと思います。
韓国戦が終わった後、誰も責めないんですよ。同学年の阿部(慎之助/巨人)と森野(将彦/中日)が食事に誘ってくれて、「気にするなよ。明日は試合に出ないから応援しろよ」って励ましてくれました。でも、翌日に米国戦のスタメン発表の紙を見たら名前があって。前日の貼り残しかなと思ったら違う。無理やり気持ちを切り替えてガツガツいくしかないと。