米国のマイナーリーグを経て、日本のプロ野球の西武、ロッテ、イタリアのプロリーグでプレーしたG.G.佐藤さん(本名・佐藤隆彦/45)。この名前を聞いて連想するのは2008年の北京五輪だ。星野仙一監督の下で史上初の金メダルを目指したが、G.G.佐藤さんは左翼の守備で3失策し、日本は4位でまさかのメダルなしに。「戦犯」扱いされ、精神的にも大きなショックを受けて帰国した。【後編】では北京五輪から16年が経ち、知られざる秘話を明かしてくれた。
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――西武で2007年に打率.280、25本塁打をマークし、翌08年に北京五輪の日本代表メンバーに選出されました。
08年は打撃が絶好調でした。五輪に選ばれることはまったく考えていなかったけど、野球に人生を懸けてやっていたので、国際舞台でも絶対に結果が出るという思いはありました。
西武時代は酒は一滴も飲まず
――「野球に人生を懸けてやっていた」という言葉に重みを感じます。
自分で言うのもなんですけど、「佐藤隆彦」は優しい人間なんです。でもこの性格じゃ勝負の世界で活躍できない。「G.G.佐藤」という別人格を作り上げて、“ベースボールマシン”としてのキャラクターを演じようと。食事もトレーニングもすべて野球に捧げてメニューを考えていましたし、当時のビデオ映像を見て、他球団の主戦捕手のリードをすべて調べてノートに書き込んでいました。このカウントでどういう配球をするのか、次はどんな球がくるのか、などを分析すると、毎日2、3時間かかります。だから西武の時は試合後にチームメートと食事に行かなかったし、酒を一滴も飲んでいません。「付き合いが悪い」とよく言われました。でも野球で結果を出すためには仕方ない。一匹狼でしたね。友達は心の中で話す佐藤隆彦だけでした。