佐藤さんのエラーを報じた当時のスポーツ新聞(本人提供)

 でも平凡なフライをショートの中島(裕之/西武=その後、登録名を「宏之」に変更)に任せず強引に捕りにいってはじいて……最悪のパターンでした。米国戦が終わった時は、もう本当につらくて。「死にたい」と妻にメールを送りました。返信がなかったけど会った時に、「何があってもパパは私のヒーローだよ」って抱きしめてくれて。涙が出ましたね。もう一度頑張ろうと。

――帰国後に西武に戻ると、球場で温かい声援が待ち受けていました。いかがでしたか。

 ファンの方々に救われましたね。「G.G.はおれたちのG.G.だ」ってプラカードを掲げてくれて。渡辺(久信)監督もいつも通りに接してくれました。「G.G.いくぞ。任せた」って背中を押してくれたので気持ちが楽になりました。復帰して最初の試合で平凡なフライを捕ったら、静寂の後に地鳴りのような大歓声が起きたんです。「所沢の空が北京の空に見えました」ってコメントしたらネット上で炎上しましたけどね。注目されたらすぐ調子に乗っちゃう(笑)。

北京五輪の映像は韓国、米国戦は見たことがない

――北京五輪を終えた後も西武の主軸として活躍しました。気持ちは切り替わっていましたか。

 最後まで切り替わることはなかったです。あの頃は野球の夢ばかり見ていました。打席に入らなきゃいけないのに靴紐がずっと結べない夢とか、外野で打球が飛んでくるのにグラブをはめられなくて焦る夢とか……。北京五輪の映像はテレビで流れるので見ましたけど、韓国戦、米国戦を見たことがないんです。うーん、つらいですし見ようと思わない。21年の東京五輪、23年のWBCで侍ジャパンが世界一になったじゃないですか。すごくうれしかった半面、正直今でも悔しい。戻れるならあのメンバーともう一度北京五輪でやり返したい。叶わないんですけどね。

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