三井のオフィスには大量のブロックが。作品の制作時には数秒に1度自動的にシャッターを切るよう設定したカメラを複数台用意し、メイキング映像を自ら撮影・編集する(写真:山本倫子)

 その後も作品制作をつづけ、高校3年の文化祭では等身大のドラえもんを披露した。作品をホームページにアップして紹介したことでレゴファンの目に触れる機会も増え、その秋には「TVチャンピオン」にも出演している。

 勉強も得意だった。関西きっての名門、灘中学校・高校を経て、東京大学理科一類に現役合格する。レゴへの情熱は、大学入学後も続いた。

ブロックで作った安田講堂 東大の五月祭で大反響

 当時、SNS「mixi」上に、東大生がレゴ ブロックで安田講堂をつくろうと立ち上げたプロジェクトがあった。ただ、活動は「休眠状態」。東大に入学した三井は主宰者に連絡をとり、実現に向けて動きだす。そこで出会ったのが、当時三井と同じ東京大学1年生、現・西松屋チェーン社長の大村浩一(36)だ。大村も三井と同じようにレゴ ブロックで作品づくりを続けていた。同じ兵庫県出身でもある。ふたりはすぐに意気投合した。

 三井と大村、mixi上で呼びかけ人となっていた上級生ら5人で安田講堂づくりが始まった。40分の1スケールで、幅約1.4メートル、高さ約1メートル。制作が佳境に入ると、毎日、大村の下宿先に集まって作業した。大村は言う。

「パーツの調達から大型作品の組み方まで、三井君の知識や経験に頼る部分が大きかったですね。三井君は会った印象そのままに、ピンチのときも穏やかな人。安田講堂の時計台を上と下それぞれからつくっていって、さぁくっつけようと思ったらハマらないことがありました。計算通りに組んでいっても、大きい分ちょっとした歪(ゆが)みでハマらなくなるんです。そんなときでも三井君は焦ることなく、少しずつばらしながら組みなおしていった。淡々と、慌てずに。三井君が感情をあらわにしている姿って、ほとんど見たことがないなぁ」

 完成した安田講堂は大学祭「五月祭」に出展し、大きな反響を呼んだ。安田講堂づくりを目的としたプロジェクトだったものの、そのまま「東大レゴ部」として活動を継続。いまや、レゴ好きの少年が「東大レゴ部に入りたい」と、東大を目指すケースも増えている。

 大学院に進学すると、三井の活動はさらに広がり、多くの人の目に触れるようになっていく。

(文中敬称略)(文・川口穣)

※記事の続きはAERA 2024年6月17日号でご覧いただけます

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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