宮城県名取市の津波復興祈念資料館・閖上の記憶で話を聞く。かつて5千人以上が暮らした街は更地に。約750人が亡くなり35人以上が行方不明だ。津波のむごさ、命の尊さを語り部が伝える(撮影/高野楓菜)

「未曽有(みぞう)の災害のグレード感って言っていましたけど、とんでもないことが起きたというニュアンスを、3・11ではリアルタイムで伝えきれなかった。ことの切迫性を表現しきれなかった」(武田)

 ハザードマップは、過去の知見をもとに人間が引いた線にすぎず、自然はそれを軽々と越えてくる。より遠く、高いところへ。避難の妨げとなる正常性バイアスを打ち破り、心に訴えかけていく。これまでにない強い表現を含んだ改訂を、武田らは局内で調整していった。その初めての実践例が、今年の元日の、あの報道となった。

 武田自身、能登には1月6日に入った。日本テレビ系の情報番組「DayDay.」でMCを務める彼は、金沢から早朝、七尾に向かい、その先の穴水や輪島へ。取材し、今、何を伝えるべきか、優先させるべきか、スタッフと議論していった。

「避難所で足りないもの、自宅や車で過ごしていらっしゃる方の実情を取材する。輪島の漁師さんに話を聞き、漁業の話をする。現場で見つけていきました」

 武田の印象に強く残ったのは、「現状を伝えて」と切望する人の多さだった。食べるもの、着るもの、暖をとるもの。水、トイレ。それがないと1日も生きていけないようなものが何日も不足している。武田が入ったのは発災後1週間近くも経っていたのに、行き渡っていない。この惨状を伝えてほしい。彼はその言葉を受け取った。

 武田といえば、忘れられない場面がある。

 それは2016年4月16日放送の「NHKスペシャル緊急報告・地震」。番組終盤、彼はこう語りかけた。

「熊本県は私のふるさとです。家族や親せき、たくさんの友人がいます。(中略)被災地の皆さん、そして私と同じように、ふるさとの人たちを思っている全国の皆さん、不安だと思いますけれども、力を合わせて、この夜を乗り切りましょう。この災害を乗り越えましょう」

 2度目の地震があった日の夜の放送で、彼の温かみが伝わって、筆者は感銘を受けた。そう伝えると、武田は静かに首を横に振った。

「私の個人的な思いは、もちろん故郷ですからありますけれども、そうではなく、皆で議論して考えていたことです。私も、熊本を思う全国の人たちも、今は何もできず取材も十分届かないけれど、被災者に心を寄せ、苦境を乗り切るためにできることを考えます、と宣言する番組にしようと」

 発災直後の命を守るフェーズ。難は逃れたが災害関連死のリスクがあるような命を繋ぐフェーズ。その後、暮らしを立て直し、復興に向かうフェーズ。それぞれ訴えるべきこと、伝えていくべきことがあるはずだ。その原点は、阪神・淡路大震災の時、武田の大先輩のアナウンサー、佐藤誠が避難所で一人ひとりに、同じ目の位置で膝をつき、関西ことばで語りかけた場面。あるいは東日本大震災の時、杉尾宗紀がラジオで「間もなく夜明けです。皆で力を合わせて乗り越えましょう」と語った場面。今、伝えるべき言葉を考え続けてきた歴史が、武田たちにはある。

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