宮城県名取市閖上。後方の慰霊碑は、この高さ(8.4メートル)まで津波が押し寄せたことを伝える(撮影/高野楓菜)
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 アナウンサー、武田真一。2011年3月11日、街をのみ込んでいく津波を実況しながら、無力感に襲われていた。自分の言葉は必要な人に届かない──。あの日、リアルタイムで切迫感を伝えきれなかった罪悪感や悲しみから、報道マニュアルの改訂にも尽力した。NHKを退局して1年余り経ったいま、日々勉強し、現場に飛んで声を聞く。喜怒哀楽を豊かに向き合い、自分の声で伝えていく。

【写真】震災遺構仙台市立荒浜小学校で。津波は校舎2階まで到達

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 早春の朝、乗り込んだバスの行き先は「震災遺構仙台市立荒浜小学校前」という長い名前だった。終点でバスを降り、武田真一(たけたしんいち・56)と妻・陽子(56)と合流する。平日の番組を終え、仙台入りした武田は、チャイムの鳴ることのない校舎を見上げた。

 荒浜地区は、仙台市中心部から東に約10キロ離れた太平洋沿岸にある。1873年創立の荒浜小学校は、海から1キロ足らずの場所にあり、東日本大震災当時91人の児童が通っていた。2011年3月11日、津波は多くの命を奪った一方、屋上に避難した児童や教職員、住民ら320人は全員救助された。遺構の校舎内に入り、武田は神妙な面持ちで語る。

「前年のチリ地震津波を経て、避難場所を体育館から屋上に変え、備蓄品も3階に移していたんですね。毛布が体育館にあるままだったら……」

 屋上に上がると、粉雪の混じる強風にさらされた。太平洋が鈍色の光を放つ。かつて眼下に広がっていた荒浜の町はない。屋上に避難した人たちは、こんな寒風の下、町を見下ろしていたのか。

 武田の運転するレンタカーに同乗し、名取川を越える。宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。ここは、武田にとって運命の場所だ。あの日の午後3時50分すぎ。それまでは釜石や気仙沼などの港の映像を流していたNHKの緊急報道の画面が、武田が放送席に入った時、仙台空港を発(た)ったヘリからの映像に変わった。ヘリは名取川を遡(さかのぼ)る津波をとらえ、まさに閖上の街をのみ込んでいく様子を映した。

「黒い波が今、住宅や畑をのみ込んでいきます」

「海岸や河口付近にいる方々は、どうぞ安全なところに避難してください」

 実況で訴えながら、無力感が襲った。ここで今、何を語っても、そこにいる人には届かない。

「それが、このあたりなんです。それからずっと、取材に来られなかった。地元の人に会うのが怖くて、申し訳なくて」

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