
学校生活になじめず「メーヴェ」制作に没頭する
林は愛知県岡崎市に生まれる。人見知りが激しく、保育園では「登園拒否児」。小学校中学年で学級委員に推されてクラスの前に立った際は、泣き出したこともあるという。
影響を受けたのは、電動工具メーカーのエンジニアだった父(19年に他界)。父はDIY熱が高じて、家中の引き出しを工具でいっぱいにしていた。もらった自転車を15段変速に「魔改造」。板にタイヤを付け電動スケートボードもつくった。
11歳の時、林は映画「風の谷のナウシカ」に出合った。漫画版も繰り返し読み、作中の一人乗り飛行機「メーヴェ」の虜(とりこ)になった。13歳で模型飛行機を改造し、1メートルほどの翼を持つメーヴェを自作。自宅2階の窓から畑に飛ばしては拾いに行き、改造を繰り返す。「ものづくりへの没頭で鬱々(うつうつ)としていた内面を解放していた」と林はいう。
林を苦しめたのは、学校生活だ。小学校の時は、九九もなかなか覚えられず、運動も苦手だった。周囲から浮いているという感覚はあり、成長とともにその感覚が増大する。
つらさのピークは、中学時代に訪れた。メーヴェの制作に没頭していた頃だ。
「僕はまあ、コミュ障だったんでしょう。顕著ないじめはなかったけれど、変わったやつだと思われていたんじゃないかな。学校って、同調圧力がかかる場所ですからね。周りとの距離が、世の中とのギャップだと思えた。一度だけ『もう生きていたくない』と母に言ったことがある。その時は、ダダダッて階段を上がって部屋に引きこもった」

そんな林も、高校生になる頃には、むしろ個性を全開にしていくことで、行動範囲を広げていく。その発端は、バイク熱。高校生ライダーが世界チャンピオンになるまでを描いた、しげの秀一のバイク漫画『バリバリ伝説』にハマった。林は主人公と同様、16歳で排気量400・を超えるバイクに乗れる審査に合格することを自らに課す。その目標達成のために猛勉強し、難関高校にも合格。
同級生の大津誠は、こう証言する。
「要くんはポロッと『僕はバイクの免許を取りたくてここに進学した』って言っていたんです。免許取得が可能な高校だったけど、『学力じゃなくて、そんな基準で学校を選ぶ人がいるのか?』と衝撃でした。地元では、わりと進学校でしたから」
その後、林は東京都立科学技術大学(現・東京都立大学)大学院修士課程を経て、新卒でトヨタ自動車に入社する。当初はひたすら「空気の流れ」を専門にしていた。