「とにかく明るい」白根とミーティングをするMSF日本事務局のスタッフたち。赴任地は自分の希望では決められない。世界約500カ所の活動地から適切な場所が提示される(撮影/横関一浩)

 MSFは、世界中すべての活動地を申告し、非暴力の中立を保ち、どの政治勢力からも保護されている。だが、拠点を出れば、いつ「標的」になるかわからない。拠点を軍隊に教えていても、15年には、アフガニスタンでMSFの病院が米軍の誤爆を受け、患者や医師42人が亡くなっている。

 白根は覚悟を決めた。

 東京のMSF側のサポート役で、紛争地で経験を積んだ看護師の白川優子(50)は、こう語る。

「電話で麻衣子さんから、万が一のことがあったら、と遺書を預かりました。長い文章を、母と姉と妹と甥(おい)っ子にって、恐怖で泣きながら伝えてくれました。大丈夫だよ、大好きだよ、愛してるよって言いながら、受け取ったんです。そのぐらい場所を移るのは危険でした」

 母の洋子や白川は何としても麻衣子を助け出したい。しかし、白根と医師、看護師の3人の日本人スタッフがガザにいることが日本ではまったく報じられていなかった。メディアは気づいていない。MSFは情報を統制していた。

 その理由を、MSF日本のメディア担当マネジャー・舘俊平は、次のように述べる。

「外国人スタッフがガザに閉じ込められている事実が公になれば、状況しだいでハマスに狙われる可能性もあった。現に彼らはイスラエルに越境して外国人を人質に取った。そこが問題でした」

 情報をめぐる当事者と本部のせめぎ合いが続くなか、宿舎を出た白根たちはガザ北部から南部への移動を強いられ、国連施設を転々とする。

 白根はひそかに知人の国際ジャーナリストにボイスメッセージを託した。

「ガザはいま地獄です。逃げる場所もないのに、逃げろといわれて。逃げろといわれても空爆はとまらなくて。一般市民はどこにもいく場所がありません」

 と名を伏せた白根の悲痛な声が、23年10月13日、TBSのニュース番組で流れた。15日、白根ら外国人の一団は国連施設の露天の駐車場に送られる。

 白根は日本の友人にLINEで窮状を訴えた。

 洋子に「お母さん、もうがまんできません。麻衣子さんのメッセージをX(旧ツイッター)に流します」と意外な人物から連絡が入った。相手は夫の元総理・安倍晋三を凶行で亡くした妻の昭恵であった。

 白根と昭恵は立教大学の社会人大学院、21世紀社会デザイン研究科の同期生だった。16日に昭恵は「避難民で溢(あふ)れ、水もトイレも寝る場所もありません。私たちは外で寝泊まりをしてます」という白根の伝言を投稿。世間に白根の存在が知られ、ガザの惨状が直(じか)に伝わってくるようになった。

 空爆下の苦しい生活を、白根はこう回顧する。

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