ふだんラファ国境は一般のパレスチナ人しか通らず、英語が話せる職員もいない。しかし、10月7日以降、エジプトは難民の流入を恐れて国境を閉ざした。再開後も、外国籍の者しか通過を認めなかったのだが、その数が半端ではなかった。

 群衆を前に外国人は途方に暮れた。

 するとMSFのパレスチナ人スタッフが白根らのパスポートを集め、人波をかき分けて出国管理事務所に突き進んだ。職員とねばり強く交渉する。

 しばらくして、出国審査官がアラビア語で人名リストを読み上げた。MSFの現地スタッフは、マイクを握って、一人ずつ英語に言い換える。

「マイコ・シラネ」と呼ばれたとき、これは現実だろうかと白根は頬をつねる。現地スタッフに精一杯の感謝を伝え、こう聞かずにいられなかった。

「どうして、ここまでしてくれるの。いいんだよ、こんな状況なんだから、仕事のことなんか忘れてあなたの大切な人のそばにいていいんだよ」

 男性の現地スタッフは、髭面に(ひげづら)笑みを浮かべて、

「だって、マイコ、君たちは僕らの家族じゃないか。MSFの家族が戦乱を避けて、安全な場所に行くのは誰だって助けるだろ。じゃあ元気でね」

 と言い、ふたたび地獄のガザへと戻って行った。

 白根は、はらはらと涙をこぼしながら、国境の長い通路をエジプトに向かって歩いた。解放された喜びと心苦しさが胸中で入り交じる。

 白根の英国留学時代からの友人で菓子研究家のSAWAKO(37)は、帰国後の親友のひと言が耳に残っている。

「麻衣子さんと再会できて、ゆっくりランチを食べて話をした際、彼女、できることならもう一度、ガザに戻りたい、と言ったんです。びっくりしました。まだ何週間も経っていないのにですよ」

 白根になぜ、厳しいフィールドに行こうとするのか、と問うと、こんな答えが返ってきた。

「現場は物事が動いていて、すごく躍動感があるんです。機動力を駆使して、一斉に医療プロジェクトにとりかかって、現実を変えられる。あれは現場にしかありません」

 すでにガザではイスラエルの空爆と地上戦で3万人以上が亡くなっている。ハマスが取った人質の解放も進んでいない。国際社会はガザを見殺しにしながら互いの顔色ばかりをうかがう。

 白根は、「26日間とはいえ戦争の惨状を目の当たりにした私には、それを伝える責任がある。即時停戦を願うばかりです」と言い残し、今年2月28日、次の赴任地、オーストリアへと旅立った。

(文中敬称略)(文・山岡淳一郎)

AERA 2024年3月25日号

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