そして今年の年明け。今度は有料老人ホームにいる父の体調が急変した。救急搬送直後は呼吸苦がひどく、「父が逝ってしまう」と動揺した。だが、とどまってくれた。バイタルは安定したが、今も酸素吸入と痰の吸引が必要だ。そしてついこの前には、再び肺炎を起こし、完全な寝たきりとなった。今は声かけに眉だけ動かす程度で、目も開けられない。
(逝ってもいいか?)
と全身で私に問うているように見える。そんな父に私は声をかける。「苦しいね。ごめんね。でももう少し頑張ろうね」
父がかすかに頷く。
「家に帰らせて」の言葉
母も、数カ月前から、薬の副作用で言葉が聞きづらくなってきた。3度ぐらい聞き返してしまったが、先日母が私に言ったのは、「家に帰らせて」だった。
この後、父の面会に行く旨を伝えると、もごもごした口調ながら、大きな声で「頑張りましょう」と、父に向かって話しかけた。私はスマホで録音をした。
今、父と母は手をとりあって、
「一緒に逝きましょう」
と示し合わせているのだ。
これまでの「生きるため」の介護から、これからは死に向かう介護へ。悔いのない看取りへ。母84歳、父90歳。介護最終章が始まった。家に引き取る覚悟はできている。(ライター・大崎百紀)
※AERA 2024年2月26日号