そんなお袋は子どもたちには優しくて、親父が付き合いで飲みに行ってるときは、母子で和やかに過ごしたことを覚えている。親父のバイクの音が聞こえると、それまで見ていた民放の番組をパッとNHKに替えてね。親父は民放を見ていると「くだらないものを見やがって!」と怒るんだ。
お袋の料理がまずいと言ったけど、お袋は朝起きたらご飯だけ炊いてすぐに畑に行って、昼はお茶づけで済ませて、すぐに畑に戻って、朝から晩まで働いていたんだからしょうがない。まだお袋のおっぱいを吸っていた頃、乳がうっすら葉タバコの匂いがしたのを覚えている。その記憶があるから、俺はタバコを吸わなかったのかもしれないな。お袋のことは聞くも涙、語るも涙だよ。
俺が田舎から出てきて、最初に出会った女性は二所ノ関部屋の女将さんだ。相撲の世界に来たら、どの部屋の女将さんも女優みたいにきれいだから、相撲取りはいい女房をもらうんだと思った。
女将さんに世話になったのは前借
その女将さんに一番世話になったことといえば、端紙(はがみ)だ。いわゆる、給料の前借で、下っ端の力士は十両に上がるまで給金も少ないし、住む場所と食事は用意されてるとはいえ、「いいわ、いいわ」で使っちゃうから、いつも金欠だ。相撲取りは、先輩から使う金ばかり教えられて余計なことばっかり覚える。錦糸町のクラブに行ったりね。あの頃は錦糸町が大繁華街で、その先の平井や小岩はちょっと田舎だったね。
金が無くなると女将さんのところに行って「端紙お願いします」って3~5万円くらい金を借りるんだよ。その借金は次の給金からしっかり引かれるし、女将さんがそれを忘れたことは一度たりともなかった。しっかりしてるよ(笑)。
給金から引いておかないと返せないだろうし、いついなくなるかもわからないからね。それに、当時は若い衆がたくさんいたから、毎月の端紙の額もバカにならなかっただろう。女将さんはお目付け役として、俺らの生活を見ているから、端紙して「ごっちゃんです」って言うと、なにげなく「使い過ぎてるんじゃない?」ってよく聞かれたもんだよ。
俺は女将さんの女学生時代の友達の伝手で入門したもんだから、女将さんにもずいぶんよくしてもらっていた。雑用をしていると親方と女将さんが食事している部屋に呼ばれて「嶋田君、これ食べなさい」っていろいろ食わせてくれたり。