木更津の実家で猫を2匹飼っていて、毎月妹と2人で爪を切りに行く。幼い頃から優しいお兄ちゃんが大好きで仕事場や海外へも一緒に出かける妹は、今では小泉の仕事を支えるパートナーになった(写真=小山幸佑)

 少年時代を千葉の木更津で過ごした。4歳の頃に父母が離婚シングルマザーになった母の一恵は姉夫婦の葬儀会社で働き、3人の子を育てた。

「智貴は小学生のとき、私の誕生日にお好み焼きを作ってくれたんです。わざわざ電車に乗ってデパートへ行き、ホタテとか海産物まで買ってきて。もう泣けちゃいましたね。優しくて反抗期もなかったので、逆に大丈夫かなと心配もしましたが」

 お洒落な母は、自分が好きなブランドの子ども服を雑誌で見て注文し、子どもたちに着せていた。次男の智貴は手芸も得意だったと母はいう。

独学で学んだ服作り、大学の時ブランド立ち上げ

 中学では成績も良く、バスケットボールに励む。友だちと音楽やゲームも楽しむが、家ではストリートファッション誌を眺め、一人で服を買いに行く。やがて小泉は「周りの人と何か違う」と感じ始めたが、誰にも話せなかった。心引かれるのは異性でなく、同性と気づいたのは中2の頃だ。

「自分のセクシュアリティーに目覚め、もっと知らない世界への興味が湧いてきました。地元は狭いコミュニティーなので閉塞感があり、友だちも心から理解しあえる感じではなくて。携帯を買ってもらい、ネットの掲示板でつながることで共通の話ができる友だちができたんです」

 デザイナーを目指す高校生と出会い、ファッションへの憧れがつのる。その頃、ファッション誌でジョン・ガリアーノの記事を見た。ガリアーノは、当時ディオールを率いる初のイギリス人デザイナーで、革新的なブランド刷新を体現した人。圧倒的な美しさと独創性に衝撃を受けた。

 中2の冬にはクリスマスプレゼントにミシンを買ってもらい、自分の服を改造したり、見よう見まねでドレスを作ったり、独学で服作りを始めた。そんな小泉を慕い、「いつか、お兄ちゃんの手伝いをしたい」と願っていたのが3歳年下の妹だ。

「周りの目を気にしない人だと思います。田舎では派手だと浮くけれど、自分がいいと思ったものを気にせず着ていて、誰とでも分け隔てなく仲良くできる。昔は兄が作るものも『えっ、どこで着るの?』みたいな服が多くて(笑)。知らないことにもどんどん挑戦していくのは尊敬しています」

 服作りが好きでも、デザイナーになることは儚い夢でしかない。小泉が目指していたのはファッション誌の編集者だ。進学した幕張総合高校は美術や音楽など芸術コースを選択でき、文化祭でファッションショーが開かれる。高校の友人で、自身もデザイナーの道へ進んだ田明日香はいう。

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