日本ハムでプレーした東大出身の遠藤良平(OP写真通信社)
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 北海道大学法学部在学中の宮澤太成(徳島インディゴソックス)が昨年のドラフト5位で西武に入団。同大出身では初めてNPB入りをはたした。そして、過去にも受験生にとって超難関の国立大学からプロ入りした文武両道の選手が存在する。

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 まず、これまでに6人をプロに送り出しているのが東大。第1号は、1965年に大洋に入団した新治伸治だ。

 高校までは軟式のエース。東大入学後、4年間で通算68試合、8勝43敗、防御率3.21を記録し、大洋漁業に就職した。

「背番号の消えた人生」(近藤唯之著 新潮社)によれば、同社の取締役の息子と高校、大学で同級生だった縁によるものだが、「東大出身第1号で客を呼べる」と考えた中部謙吉オーナーの意向で、本社から出向という形でユニホームを着ることになった。

 4月17日の国鉄戦でプロ初登板をはたした新治は、7月25日の広島戦では、2対3の6回に3番手で登板。味方が同点に追いついた直後の7回2死二塁のピンチで、8番・田中尊を敬遠すると見せかけて、フルカウントから真ん中に直球を投げるという“魔術師”三原脩監督ならではの奇策で見事三振に打ち取る。

 8回に味方が4点を勝ち越した結果、うれしいプロ初勝利を手にした新治だったが、直後に打たれ、平岡一郎のリリーフを仰いだことから、「勝利投手というには、おこがましい内容です」と反省しきりだった。

 同年は10月18日のサンケイ戦で2失点完投勝利を挙げるなど、40試合に登板し、5勝2敗、防御率3.16。三原監督退任後は出番が減ったものの、4年間通算9勝6敗、防御率3.29と、東大出身選手で最高の実績を残した。

 第2号は、67年に中日入りした井手峻だ。

 前年の2次ドラフトで、東大史上初のドラフト指名(3位)を受けた井手は、中日新聞社からの出向社員として入団。67年7月11日の阪神戦で3番手としてプロ初登板をはたし、9月10日の大洋戦で4回途中から9回までを3安打2失点に抑え、プロ初勝利を挙げた。この試合は、8回からの2イニングを新治と投げ合い、史上初の東大出身投手同士の対決も実現している。

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井手はその後「外野手」に転向