だが、これがプロでの唯一の勝利となり、70年から外野手に転向。主に代走として起用され、打席に立つ機会は少なかったが、73年5月5日の巨人戦で、勝利のヒーローになる。

 5対5の延長10回2死、8回から守備固めでレフトに入っていた井手は、フルカウントから「変化球でかわされたら仕方がない」と直球に的を絞り、高橋一三の内角高め直球をフルスイング。左翼席中段に運ぶ決勝のプロ1号を放った。

 ちなみにこの日は、東京六大学野球リーグ戦で東大が7対6で法大を下し、対抗レガッタでも東大が一橋大に勝ったことから、翌日の朝日新聞は「東大デー」と報じている。

 東大出身選手では最多の通算359試合に出場し、76年限りで引退した井手は、中日コーチなどを経て、13年に球団代表に就任。20年には東大史上初のプロ野球出身監督にもなった。

 3人目は練習生を経て92年にドラフト8位でロッテ入りした小林至だ。

 東大が通算200勝に王手をかけながら、六大学新記録の70連敗を喫したときのエースだった。当時六大学OBの編集者から「東大200勝の瞬間を取材しろ」と命じられ、3年間神宮通いを続けた筆者は、敗戦後、通路で報道陣に囲まれ、無念の表情で取材に答える小林の姿を覚えている。そんなやり取りの中で、プロ志望を口にしたことが、ロッテ・金田正一監督の耳に入り、テスト入団の道が開けるのだから、人間の運命はどこでどうなるか本当にわからない。

 2年間1軍登板なしで終わった小林だが、オープン戦では独特の緩いボールを武器に勝ち投手になっている。

 93年3月24日のオリックス戦、1対1の7回に先発・前田幸長をリリーフした小林は、先頭打者の9番・鈴木一朗にいきなり三塁打を打たれ、被安打2で1点を失うが、その裏、味方が3対2と逆転。幸運な白星を手にした。だが、試合後、2軍落ちを言い渡され、同年限りでユニホームを脱いだ。後のイチローと対戦し、勝利投手になったことは、プロ野球時代の良き思い出になったはずだ。

 その後は99年に遠藤良平がドラフト7位で日本ハム、05年に松家卓弘がドラフト9巡目で横浜、18年に宮台康平がドラフト7位で日本ハムに入団したが、いずれも未勝利に終わっている。

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