このように、道長の召人である女房たちは、同僚にも世間にもそれを知られていた。せいぜいが『紫式部日記』のおぼろげな記事以外に根拠もなく、『栄花物語』などにも記されない紫式部との関係は、たとえあったとしても道長にとって「つまみ食い」程度のものだったとしか考えにくい。『尊卑分脈』が「道長妾」と妾(側室)の一人であったかのように記すのは、中世になって『源氏物語』が貴族文化の名作と認められ、紫式部がカリスマ化したためだろう。しかし紫式部の生前においては、『源氏物語』が天皇・中宮・貴族たちに愛読されていたとはいえ、作者は一女房に過ぎなかった。家族に後ろ盾となる有力貴族がいたわけでもない。道長はまさに若き日の光源氏よろしく、一時的に興味本位で関わったに過ぎないのではないか。いや、『源氏物語』は光源氏が女たちに長年愛情を注ぎ続けたと記しているから、現実の道長は源氏に遠く及ばなかったと言うべきか。ただ道長との思い出は、紫式部の心に深く刻まれた。それが最晩年になって『紫式部集』にあふれ出たのだと思う。
紫式部は、『源氏物語』の中に召人を何人も登場させている。妻ではなく、日陰の存在である彼女たちは、普通は物語の登場人物にはなりにくい。だが紫式部は、光源氏の召人を多く登場させ、科白を与えた。『源氏物語』宇治十帖最後のヒロイン・浮舟(うきふね)は、宇治の八宮とその召人との間の娘である。紫式部は、「召人にもなれなかった女房」として召人たちの思いをすくい取り、物語に綴ったのではないだろうか。