『紫式部日記』は紫式部の女房としての成長の記録という側面がある。初めのころは、道長におびえるようすもあるが、後半になると道長に部下として信頼され、また紫式部も道長にトップとして仕える喜びも描かれている。この二人の関係は実際のところどうだったのか、平安文学と紫式部に詳しい京都先端科学大学の山本淳子教授の新著『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか』から抜粋・再編集して探ってみる。
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道長と紫式部 二人の関係性
『紫式部日記』は四つの部分から成ると、前に記した。だがその全編において、主家の晴れがましい記録であると同時に、女房・紫式部の成長の足跡という側面をも持っている。自宅で一人の寡婦として作家活動を始めた彼女は、当初は女房という仕事に強い抵抗感を抱き萎縮していた。しかし彰子との間に信頼関係が芽生え、同僚に親友もできて、紫式部は職業人として生きる意味を知っていく。そうした成長につれて、道長と彼女の関係性も変わっていく。
例えば寛弘五年十一月一日、彰子の皇子・敦成(あつひら)親王の誕生五十日を祝う宴で、公卿たちが酩酊して彰子御前の女房たちに戯れかかると、紫式部は恐れをなして部屋の隅に隠れた。ところがそうして職務放棄を決め込んでいたところを、道長に見つけられてしまう。罰として「和歌を詠め」と言われた時、紫式部は抗う術もなく「わびしく怖ろし」と焦りながら何とか和歌をひねり出した。