道長には、多くの召人がいた。例えば、彰子の女房で「大納言の君」と呼ばれていた源廉子(れんし)である。『栄花(えいが)物語』(巻八)によれば、廉子は道長の正妻・倫子の姪で、父親に出家され彼女自身の結婚にも失敗した。そこで従姉妹である彰子のもとに出仕したところ、道長に見初められた。顔立ちがまことにかわいらしかったからと、『栄花物語』は言う。その彼女に対する道長の扱い方は、こそこそと人目を忍ぶようなものではなかった。そのため当然、倫子の知るところともなったが、倫子は身内だからと許したという。このように、道長はおおっぴらに「召人」を作る男なのである。

 また、かつて花山院(かざんいん。九六八~一〇〇八)の恋人だった、藤原為光(ためみつ)の娘・四の君である。『栄花物語』(巻八)によると、院が寛弘五年に亡くなると道長は姫たちの女房として彼女を取りたて、仕えさせるうちに情を通じるようになった。それは彼女のために「家司(けいし。専用の事務担当者)」を置くほどの寵愛ぶりだったという。召人という使用人として傍に置きながらも、独立した「家」を持つ側室のように扱ったというのである。彼女は道長の子を産んで亡くなったとも(『大鏡』「為光」)、産む前に亡くなったとも言われている(『小右記』長和五〈一〇一六〉年正月二十一日)。また彼女の妹・五の君も、道長の次女・妍子(けんし)に仕えつつ道長の召人となっていた。彼女が自分の子を宿していることを道長は公表しているので(『小右記』同年四月二十四日)、やはり秘めた関係ではなかった。

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道長にとっての「つまみ食い」