焼酎ハイボールの名店、三祐酒場 八広店。リラックスできるカウンター席が並び、壁には手書きのメニュー表。奥には座敷も設けられている。先代から受け継がれる秘伝のエキスのレシピは門外不出だ
この記事の写真をすべて見る

「焼酎ハイボール」は、日本の焼酎文化を語るうえで欠かせない存在だ。焼酎を炭酸で割った一杯を指し、略して「ボール」とも呼ばれる。1950年代に東京の下町エリアの大衆酒場で誕生したとされ、当時、質の悪いものが多かった焼酎を炭酸や香りのついたシロップ(=エキス)などで割り、美味しく飲めるように工夫したのが発祥といわれている。

【写真】常連客が「シャリシャリ」と呼ぶ「下町の酎ハイ」はこちら

 炭酸やエキスの配合バランスは店ごとに異なり、さまざまな味わいを楽しむことができる。現在も70年前と変わらない門外不出のレシピを受け継いで提供している店も数多い。発売されたばかりのムック「いま最高の酒場と焼酎。」が、この琥珀(こはく)色に輝く美しい酒の歴史を探り、東京下町の5軒の名店を紹介している。

***

歴史と伝統を受け継ぐ一杯
三祐酒場 八広店/東京・京成曳舟

三祐酒場 八広店の「元祖焼酎ハイボール」350円。創業時からグラスに氷を入れた状態で提供。氷が溶けても最後まで美味しく飲めるようにエキスと焼酎のバランスが計算されている。酸味が効いたすっきりとした飲み心地だ

 焼酎ハイボールの元祖として知られている「三祐酒場」。戦後間もない1951年、初代店主がアメリカ進駐軍の駐屯地で飲んだウイスキーハイボールの味に感動し、手軽に飲めるようにと焼酎の炭酸割りを提供し始めたのが誕生のきっかけだ。

「当時の焼酎は精製技術があまり良くなく独特のにおいが強かった。それをうまくなじませるようなエキスを作り、焼酎と炭酸を混ぜて提供していました。味わいだけでなく、色合いもウイスキーをイメージして作られたので琥珀色をしているのが特徴なんです」と二代目店主の奥野木晋助さんは話す。

 三祐酒場の本店は区画整理の影響で残念ながら閉店してしまったが、暖簾(のれん)分けを許された数少ない店の一つ、八広店がその味を受け継いでいる。

 かつては八広店の周囲にも多くの町工場が存在した。早い時間帯に仕事を終えた男たちが酒場に集い、妻からもらった小遣いで元祖焼酎ハイボールを一杯……というのが定番の光景だったという。酒場が社交場として活用されていた時代の話だ。

 現在は街並みこそ変化したが、半世紀以上の歴史を持つ元祖焼酎ハイボールを目当てに遠方から通い続ける常連客も多い。最近は焼酎ブームもあり、女性のひとり客も増えてきたそうだ。

次のページ
常連客は「シャリシャリ」と呼ぶ