二百年も戦争のない安泰な世の中をもたらした江戸幕府。しかし、その権力維持のために脅威になる勢力を徹底的に抑え込んでいた。歴史作家である河合敦の著書『日本三大幕府を解剖する 鎌倉・室町・江戸幕府の特色と内幕』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
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江戸幕府の成立
一六〇三年、徳川家康は朝廷から征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開いた。これにより、諸大名を指揮する正統性を得たわけだ。同年、家康は諸大名に江戸城と城下の造成事業を命じた。これを天下普請といい、以後、いくつもの徳川方の城が天下普請によって築城、修造された。代表的なのは一六一〇年の名古屋城の天下普請だろう。なお、江戸城下の普請は日比谷入江の埋め立て、堀の掘削、利根川の付け替えなど大規模工事だったので、ほぼ完成するのは三代将軍家光の時代であった。
一六〇四年、家康は国ごとに彩色された巨大な国絵図と郷帳の作成を大名に命じた。郷帳とは、各村の田畑の内訳や石高を郡単位で記し、それを国単位にまとめた冊子のこと。同様の命令は、正保・元禄・天保年間にも出されたが、徳川氏が日本の土地支配者であることを知らしめる狙いがあった。
翌一六〇五年、家康は将軍職を嫡男・秀忠に譲った。徳川氏が将軍を世襲し、その後も権力を握り続けることを天下にアピールしたのである。